09,
2008
屋久島では訪れたい場所がいくつもあった。
縄文杉だけじゃない。
白谷雲水峡も苔の森も
小杉谷小学校跡地も
ウミガメのいなか浜も
海も山も里も空も
花崗岩という屋久島を創る「記憶を持つ岩」に触れるのも。
そして数々の滝のうち
「大川の滝」は、ぜひ訪れたいと思っていた。
大川は、言うまでもなく
わたしの生まれ持った姓であるから縁を感じる。
それをひらがなにした「おおかわ」は筆名として使用しているが
この滝の「大川」は「おおこ」と呼ぶらしい。
「おおこの滝」
日本の滝100選にも選ばれた落差88mのそれがコレ。
写真左上おおきなオーブがいくつも映っていると喜んでいるが、
じっさい、水しぶきは、凄かった。
屋久島から戻った数日後には
山形から親戚が「帰郷」してきた。
それに合わせてまた方々から親戚たち(一部)が実家に来て
総勢20名弱にもなり
大川のお墓のある群馬は桐生へ、出掛けた。
山形の叔母は、大川に来た嫁であるにも関わらず
墓に手を合わすときはいつも涙ぐみ
誰よりも時間をかけて話しかける。
「来たよー」
「ゆっくり休んでね」
「また来るからねぇ」
嫁であるにも関わらず、というのは
よけいであるのはじゅうぶん承知だが
それでも実際、すごいことだと
わたしはいつもその後ろ姿に感動してしまう。
子どもの頃、私が本当によくお世話になったおじおば夫婦。
おばさんはおばさんであり
嫁いで来た人でも、父の弟の嫁でもなく
「わたしの大好きなおばさん」である。
だけど、おとなになってこそ
そのおばさん、その夫婦は、わたしにとってよりかけがえがない。
いちばんの物知り伯母が(私は影響を大きく受けている)
ひいひいじいさんの話や
墓に刻まれたわたしのちっとも知らない名前が
どんな人たちだったかを、話して聞かせてくれた。
それはわたしの、生きる力にまた、代わる。
桐生からまた埼玉へ戻り
さらに親戚は増えたところで、夕食会。
また集合写真なんか撮っちゃって。
家に戻って夜が更けるまでおしゃべり会。
おとなは酒を飲み(大川は、酒が飲めない人も多いけど)、
子どもたちは夢中になって遊んでいた。

気づけばこれ
じいちゃんばあちゃんの仏壇の前。
遊んでいる子らは
わたしにとっての姪甥と、彼女らにとっての「はとこ」たち。
じいちゃんばあちゃんにとっての、ひ孫世代なのだ。
その世代も、これだけじゃなく、まだまだ何人もいるから凄い。
わたしは大川が大好きだ。
たくさんの光る玉を抱き
たくさんのしぶきを振りまきながら
たくさんの人の暮らしの糧となる豊かな水を運ぶ
大きな大きな、流れる川だ。
この想いがどれだけ幸せなことかは
わたしはきっと、よぉく、知っている。
この想いに恥じぬよう
精一杯生きなければと強く思う。
この大きな滝みたいに、強く。
縄文杉だけじゃない。
白谷雲水峡も苔の森も
小杉谷小学校跡地も
ウミガメのいなか浜も
海も山も里も空も
花崗岩という屋久島を創る「記憶を持つ岩」に触れるのも。
そして数々の滝のうち
「大川の滝」は、ぜひ訪れたいと思っていた。
大川は、言うまでもなく
わたしの生まれ持った姓であるから縁を感じる。
それをひらがなにした「おおかわ」は筆名として使用しているが
この滝の「大川」は「おおこ」と呼ぶらしい。
「おおこの滝」
日本の滝100選にも選ばれた落差88mのそれがコレ。
写真左上おおきなオーブがいくつも映っていると喜んでいるが、じっさい、水しぶきは、凄かった。
屋久島から戻った数日後には
山形から親戚が「帰郷」してきた。
それに合わせてまた方々から親戚たち(一部)が実家に来て
総勢20名弱にもなり
大川のお墓のある群馬は桐生へ、出掛けた。
山形の叔母は、大川に来た嫁であるにも関わらず
墓に手を合わすときはいつも涙ぐみ
誰よりも時間をかけて話しかける。
「来たよー」
「ゆっくり休んでね」
「また来るからねぇ」
嫁であるにも関わらず、というのは
よけいであるのはじゅうぶん承知だが
それでも実際、すごいことだと
わたしはいつもその後ろ姿に感動してしまう。
子どもの頃、私が本当によくお世話になったおじおば夫婦。
おばさんはおばさんであり
嫁いで来た人でも、父の弟の嫁でもなく
「わたしの大好きなおばさん」である。
だけど、おとなになってこそ
そのおばさん、その夫婦は、わたしにとってよりかけがえがない。
いちばんの物知り伯母が(私は影響を大きく受けている)
ひいひいじいさんの話や
墓に刻まれたわたしのちっとも知らない名前が
どんな人たちだったかを、話して聞かせてくれた。
それはわたしの、生きる力にまた、代わる。
桐生からまた埼玉へ戻り
さらに親戚は増えたところで、夕食会。
また集合写真なんか撮っちゃって。
家に戻って夜が更けるまでおしゃべり会。
おとなは酒を飲み(大川は、酒が飲めない人も多いけど)、
子どもたちは夢中になって遊んでいた。

気づけばこれ
じいちゃんばあちゃんの仏壇の前。
遊んでいる子らは
わたしにとっての姪甥と、彼女らにとっての「はとこ」たち。
じいちゃんばあちゃんにとっての、ひ孫世代なのだ。
その世代も、これだけじゃなく、まだまだ何人もいるから凄い。
わたしは大川が大好きだ。
たくさんの光る玉を抱き
たくさんのしぶきを振りまきながら
たくさんの人の暮らしの糧となる豊かな水を運ぶ
大きな大きな、流れる川だ。
この想いがどれだけ幸せなことかは
わたしはきっと、よぉく、知っている。
この想いに恥じぬよう
精一杯生きなければと強く思う。
この大きな滝みたいに、強く。
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