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Author:tuckchickborn>hisano
大川久乃です。

『はたきがけこうしん』(文・大川久乃 絵・下田昌克
こどものとも年中向き/福音館書店/2016年6月号



『キャベツのくすくす』(文・大川久乃 絵・伊藤秀男
こどものとも年少版/福音館書店/2012年6月号



定期購読のほか、
お近くの書店、
福音館書店MO係 TEL:03-3262-1642でご注文可能。



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2009年ありがとう

2009.12.31 12:00|つれづれごと
2009年も暮れゆきます。
今年も、家族、友だち、お付き合い頂いている皆々様には
たいへんたいへんお世話になりました。
来る新しい一年が、笑顔咲くすこやかな年でありますように。
2010年は、満月の元旦で幕開けとなるようです。しかも月食だとか。
どうか、皆さん、よいお年をおむかえください。

    P7210063.jpg  お母さん誕生日おめでとう。

**

過去記事に未アップになっていたものがあったので、
2009年最後のメモとしてここに記そうと思います。


自分の創作と音楽には何か縁があると思っている。
それはtuck chick bornのはじまりにも音があったこともそうだし
オーラソーマのセッションを受けたときにハッキリと言われたりもした。

ことばにはそもそも音がある。
でもただそういうことじゃなくて、
ことばの選択、もしくは切り捨ての作業は、
ことばを超えた念に支えられ
また念のこもったことばが一見涼しい顔をしてそこにのこる。

短いことばで何か表現しようとするときに
じっさい書き残すことばには、
ひゃくまんの無言がこもっていたりする。

音、音楽、もしくは音楽家には、
その感覚が、勝手に共鳴するところがあるのだと思う。

ヨガをして、身体を使うということを、日常的にするようになり
わたしにはとてもいい変化が起きている。
はっきりとそうわかる。
というか本来の、あたりまえのことなのだと思う。
わたしの身体はずっとわたしと一緒にいた。
身体にはハートが宿っている。
その珠そのものを、もしくは珠の座を、磨く作業が、ヨガ。
もっとも、心をこめて何かを行うとき、それはすべてヨガなのだし
ヨガと呼ばなくてもいいのだと思う。

また例えば舞踊のように、身体を使う体験のひとつに
わたしには、絵があったと思う。
絵を少しでも描くようになって、わたしは「念」が強くなった気がする。

念はことばにしようとすると見栄をはるが
じぶんのなかでじっくり感じていたりすると
すごく熱をおびてくる。
それはわたしの生命力の熱となる。
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青い空!

2009.12.29 22:43|暮らし
東京湾のレストランクルーズでランチを頂いてきました。
ぶじに仕事納めをし、天気にも恵まれ
 

思わずジャンプしたくなるほど気持ちがよかった!
 PC290299.jpg


新春元日より、深川いっぷくにて開催の
深川100人100色だるま展」(~24日)
に、わたしも参加しております。

同時開催「おふだの文化史展」
17日には寄席もあるそうな。
ちなみにこのアートだるま展の情報が『散歩の達人』1月号に掲載されているらしいですよ!

 お待ちしてますお待ちしてます♪

咲くもの還るもの

2009.12.28 18:00|暮らし
尚子さん展示の「ことばはこ」でもらい植えたチューリップの球根が、
12月に入ってまもない頃にさっそくぴょこんと芽を出した。
あたりでもらったふたっつともヨ!

しかも、去年植えて咲いてままだったのも、芽が出てた。 
分球したんかなぁ。
すごーーーい。
こんなに寒いのにえらいなぁ。。

土の中でひっそりといごいごとがんばってがんばっていたんだね。
わたしもね、今、いごいごいごいごと、がんばっているんだよ。
いっしょにがんばろうね!
   
   チューリップの球根、芽が出ました。
    春には3つチューリップの花が咲く予定。

山梨の義祖母、永眠。
数えで95歳。大正、昭和、平成と生き抜いた女性。
思い出すのは、今年のお正月に昔話をしてくれた優しい顔と凛とした佇まい。
朝焼けに始まり、真っ白な富士山が神々しいばかりにくっきりとそびえ立ち、
八ヶ岳、北岳、櫛形山...本当に美しかった。
長い一日に空はまざまざと移り変わって見せてくれました。



ヨガシリーズ2009秋

2009.12.15 13:00|ヨガ
ナオ先生のシリーズが今期もひとまず終了した。
受け続けて1年と4ヶ月が過ぎ(そのうちで休んだのは先日発熱したときのみ!)
今回は、ほんとうに内側から気づきを得たり、
理論にはあてはまらないかもしれないがごく個人的なインスピレーションが
ふっと降りてくることが多く、その体験はとても静かに大きかった。

その中でも、ひとつ、いくつかバラバラだった気づきが
こんな風にまとまりを得て、わたしのなかにすとんと落ち着いたので
記しておこうと思う。
絶対じゃないとは思うけど、ヒントは光! なのであるから。
 

もともとわたしは目が悪くて小学生の頃はずっとめがねっこ。
学年一のひょろひょろ背高のっぽ+めがね。
わたしはコンプレックスのカタマリだった。
本来好きなものこそがわたしにはどんどん似合わなくなる、そういう意識が常にあった。

視力矯正するも、左目が弱視気味で視力が伸びず、がちゃ目に。
気づけば右目のみで世界を見ていて(それは目を片方瞑ればわたしにはよく分かった)、
だから表情筋も右側ばかり使って鍛えられるから
小学生のときの写真はどれも左右の顔が引きつるように違くて
「写真はイヤ」といつも思ってた。
(しかも中学生の途中くらいまでは一重まぶただった)

目の悪さとのっぽを隠そうとする猫背で肩こりも小学生時からひどかった。
一方で、めがねコンプレックスからは解放されたものの
高校生くらいからはにきびに悩まされるようになり、
成長するにつれ良くなってきたとはいえ左の顔にはまだ出来やすく、
ずっと何でだろうって思ってきた。

アーサナをして、左右それぞれポーズしたあとで身体を味わうとき
目を閉じた闇の中で
光をより感じやすいのは、そういえばいつも悪いはずの左目だった。


右の陽性は、わたしの鎧。長所でもあるかもしれないけど、弱点でもあり
そこにこそ、たくさんのプレッシャーや、闇や、凝りや焦りがあり
左の陰性は、わたしの内側で、きっとカルマであり、
何かやっぱり、うまくバランスがとれてないんだな。

前に友人の占い師さんに、
前世に盲目の吟遊詩人だったことがあると言われて、
自分の左目の弱視と、その話が、なんとなく繋がった気がして、
うまく言えないけど、ハートがなにか「やっぱり」と納得していた。

また別の前世に、
身分が高く、自分の本心を公にできない立場でいたことがあったと言われ
だから今度は自分のほんとうのこころを見失わず、また表現したいという
目的があるのかもしれない
でも一方で、少し自分の気持ちが分からなくなるところもある辺りは
やはりカルマなのかと
妙に納得したり、鳥肌が立ったりした。


ヨガはスピリチュアルなのだろうか。
わたしはどうもそのことばを信じてない部分もあるからか反論すると
こんなに実践なことはなくて、
この一年で
ぬか床をかきまわすことが日課になったように
わずかな時間でもヨガをすることを続けているわたしには
与えられたわたしという重さをとにかく感じたり踏みしめるヨガは
これまで以上に生きることにリアルをくれて
またそこには、いつも死もあるんだと、

最近そういえば、やみくもに怖がるということがなくなってきたな。
今、気づいたよ。

わたしのなかのちから、あなたのなかのちから

2009.12.11 00:01|つれづれごと
いとこの結婚式のあと、正装したまま見たかった展示ふたつに繰り出した。
引き出物と、母に渡された、フルーツを幾つか持ったまま。

井上リエさん個展「1ぺいじの絵本展」 ギャラリーf分の1
私の中の力」というタイトルだったか、姿が忘れられない。
じぶんを含め、友だちや家族に、これを届けたい顔が浮かんだ。
わたしの力を贈りたいんじゃなく、あなたのなかの「私の力」を。


リエさんの作品は初めて見たときから
「いつか手元に置きたい」と思わされる。今回もまた。
いつか。それって、必ずしもお金をいっぱい持ったときに限らないんだろう。
そしてきっと、そのいつかはあると感じた。
もうどうしても離れられなくなるいつか。
そのときはきっと迷わず買いたいな。

リエさん展のあとには、前回からおきまりのコースで
山の上ホテル「ヒルトップカフェ」でアップルパイ。
これも含めてリエさんの個展が、これからもずっとずっと楽しみです。

  itipeijinoehonten.jpg

リエさん展の前には、渋谷で
アトリエ空中線十周年記念展「インディペンデント・プレスの展開」
ポスターハリスギャラリー
ものすごくおたく魂をくすぐられる、魅力的な造本の数々。
あぁ、出版する、本を創るということは、こういことなんだ、と静かに訴えかけられる。
そう、とても静かに。
いつも真実は小さな声で語られる。
ここでもまた華雪さんの作品に出逢った。づいてるぅ!

  kuuchuusen.jpg




映画鑑賞
気球クラブ、その後」(監督 園子温)
これ、好きやわぁ。

  気球クラブ、その後

また、園さんの「俺と映画」というコラムが、最高にかっこいい。
ぜひ読まれたい。→SONOSION.COM  > 「園子温の詩より」選べます。

気球、主題歌の荒井由美「翳りゆく部屋」言い様もなく懐かしく愛しい。
中学生のときカセットテープで荒井由美時代のユーミン聴いてたなぁ。
映画では畠山美由紀さんがカバーしてるんだけどしっとりとして良い。

わたしはぽぽちゃん

2009.12.07 12:38|暮らし
母方、同い年のいとこの結婚式。
終始わたしはばーちゃんの隣で過ごした。うれしかったな。
名が太陽の子。
ほんとうに、12月とは思えない暖かな陽射しが
祝福のシャワーとなって照らしてくれていた。

 花束をもらったばあちゃん  きょうからふたりいつまでも吸ってはいて吸ってはくんだ 吸う息はつないでもらったいのちの重み はく息は大切な人たちへの感謝と祈り それがわたしたちのまいにち ありがとうでいっぱいのまいにちをいきる
 新郎新婦からサプライズで花束が贈られたばあちゃん。
 右の絵と詩は、わたしからふたりへの贈らせて頂きました。



今日もまた抜けるような青空!
大雪の候らしく空気はきりりとして綺麗。

そして今日は屋上から、Mt,富士! 富士山がくっきり。
まるですぐそこにあるみたいに。
何度もこの屋上へあがったけど富士山が見えたのは初めて。

すぐそこにいて、見てくれていたんだね、というきぶん。
それはきっとあながちまちがっていないんだろうな。

お祈りのきもちを込めて太陽礼拝から初めて少しヨガ。
トリコナーサナをして上を見あげたら、ひゅうんと浮遊物が。
けっこうおおきな白い綿毛だった。綿帽子。
たんぽぽのじゃないな、なんかもっと、しっかりしてた。

中学生の頃からだったか、
え? という場所で、よくふうわりとたんぽぽの綿毛や
なんやしらん白い綿毛が飛んでくることがあった。すぐ近くにね。
ケサランパサランか?
友だちは、わたしをたんぽぽの「ぽぽちゃん」と一時期呼んだほど。笑
高速道路でバスの窓を開けたら入ってきたりとか、
じぶんの部屋や、授業中はしょっちゅうあった。

それを思い出したのと、
最近はそういうふしぎ現象の一つに

自宅で、なんとなーく立ち上がったときに
カランと米粒が落ちる。
床がフローリングなので音がして分かり、やっぱり落ちてる。
夜でも朝でも、特に、着ているものを問わず。

あ、また米、とよく夫と笑ってる。
なんだろう、打ち出の小槌? 一粒単位のね・・・。


おじぎそうの花
先日のおじぎそうの蕾、ひとつ花が咲きました。
おじぎそうの花はこんなふうに
まるでケサランパサランです。

「虹の貝がら」

2009.12.01 12:30|つれづれごと
12月1日。この日は、幼くして亡くなった友だちのたんじょうびだから
いつも、これからもずっと、特別な日。
「虹の貝がら」
もう3-4年くらい前に、まさこさんが歌にしてくれた、その子の歌です。
タイトル(↑)クリックで、試聴できるページへリンクします。よかったら聴いてみてね。

昨夜のうちに読み終えたムーミン谷の十一月を返却がてら
けさは朝一で、図書館と神社へお参りに行った。
森が紅葉して、空気が澄んで、きれいだった。

昨日は、前回熱で休んでしまったヨガ。
先週は祭日でお休みだったから、実に2週間ぶり。
あいだにスートラの特別クラスにはいったけど
何かもうHomeというかんじ。
やっぱりいい、すごくいい、とずっと感じていた。

顔が違うと、何人かの人に言われた。
そうか。今は、調子がいいときだからだ。
それに、スートラクラスのときに、気づいたことがやっぱり大きいんだ。
「わたしは、信じてなかったんだな」と、気づいたことが。



いつ見た夢だろう、
いろいろとふしぎな夢を見るほうなのだけれど、
これはそのなかでも、というものがあって、

高い山で、わたしは日常というビルから飛び降りてしまうんだけど
けっきょくその山の最上階部分に落ちて(あがって、というか)
「あー、すごいことしちゃったよ。これからどうしよう」
と、倒れたまま思っていると、
懐かしい白い軽トラックが来て、運転していたおじいさんが
わたしに何か声をかけてくれて、
そのまま車は、懐かしい通りへと消えて行ってしまう。

夢のなかで「懐かしい」と、確かに思っていて
目覚めてから思うと、その軽トラに乗っていたのは
中学生のときに死んだわたしの母方のじいちゃんで、
夢なんかに出てきてくれたのははじめてで、
じいちゃんの軽トラが入っていった小道は、
実家の前の路地で、ご近所さんの家がそれぞれが建て直す前だったり、
道路の整備工事がされる前だったりの(ドブのふたがないとか)
子どもの頃の、景色。


それで、わたしは軽トラを追いかけようとは思わず、
ビルに戻って、そこは「日常」だから、
わたしの職場もあれば、病院施設などもあり
(たぶん、駅やら、スーパーやらもあったのだろう)
そこの病院で見てもらって
「大丈夫よ、なんてことない」
と、飛び降りるなんてうっかりたいへんなことをしでかしてしまった
わたしの内心の動揺を見透かして、
処置というよりもただなだめてくれた看護師さんたちに見送られ
ひとり、下りのエレベーターに乗った。
しまる扉の向こうで、やさしく手を振ってくれる
白いナース服や白衣、白いガウンを着ている患者さんたちは
たぶん、天上の人たちだったと、
やはり目覚めてから理由もなく感じた。


わたしはこの夢をいつ見たのかはっきり思い出せなくて
多分そんなに前のことでもなく、でも数年前かも先月かも知れない。
とにかく、なぜかおととい辺りから
この夢の感触や高い場所で頬に感じていた風などを思い出すのは
なにかきっと意味があり、

ふと、気がつけば、
ことしも終わりの月の入り口。
そこはこれからもこれまでも彼女の生まれた記念日であり、
昨夜はヨガ後、満月二晩前の月が、夜空にきれいに輝いていて
今日のこの青空を予感させてくれていたよ、ありがとう。


  091201_1210~02
おじぎそうにはじめての蕾がふたっつ!

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