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tuckchickborn>hisano

Author:tuckchickborn>hisano
大川久乃です。

『はたきがけこうしん』(文・大川久乃 絵・下田昌克
こどものとも年中向き/福音館書店/2016年6月号



『キャベツのくすくす』(文・大川久乃 絵・伊藤秀男
こどものとも年少版/福音館書店/2012年6月号



定期購読のほか、
お近くの書店、
福音館書店MO係 TEL:03-3262-1642でご注文可能。



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このごろごろごろ

2009.11.28 15:55|つれづれごと
叔母のキウイやらばあちゃんの冬野菜やらおしんこうやらを
許容量をはるかに上回るほどもらってしまったため
ご近所にお住まいの木村のねえさまに取りに来てもらう。
他にはない濃ゆい時間をすごす。
ありがたや、ありがたや。

翌、昼休み。
自宅近くの郵便局の敷地に、ワゴン車で
インドカレー屋さんがお弁当を売りに来ている、
と思ったら、
なんと、バカかんで知り合いになったおともだちだった!
なんてこったい、こんな嬉しい再会。
インド屋台sadubaba。
これからは月曜木曜はカレーの日。

夕方前に、深川いっぷくへ。
新春100人アートだるま展に参加することに決めた。
いっぷくさんにはtuck chick bornを一冊置いてもらっているが
先日、それをいたく気に入って読みふけっていらした
おじ様がいたと報告を受ける。
とてもうれしい。
展示のときも、案外男性の方が、
共感の意を示してくださることが多かったっけ。

『パンの木』(登尾明彦)という詩集を見つけ、
ずっと気になっている。こんど買おう。
   pannoki.jpg

ささきもと子さんというストリングスイラストレーション作家の
方の作品に、目も心もうばわれる。

清澄庭園を、ぶらりひとり散策し、

銀座マロニエ通りのスタバで
フランシスマヤちゃんライブ(Gt.遠藤康之)。
金子マリさんのLean on me
あぁわたしがこのあいだ、ひろへの手紙に書きたかったことは
そうだこれなんだ、これなんだよ。
ひろのこと、まいこちゃんのこと、
前の日銀座にいるからとメールをくれたみちよちゃんのこと
めでたく妊婦宣言したええこやゆきに伝えたいこと
イロイロ思って、涙が流れた。みんなのおかげで今がある。
けっこうおいおいと泣いてしまった。

夜は、「this is it」をもう一度観に行った。
マイケルジャクソンは、あらゆる人が
そもそも体内に持つリズムを、音楽を、引き出すんだ。

泣き上戸のころごろ。
今日はまた知人カップルの結婚パーティ。楽しみだ。

***

金子マリさんの歌うLean on me。←クリッククリック!

歌詞一部抜粋。

 弱気なとき、教えてよ
 ここにいるよ
 いつも さぁ 明日は来る
 信じて 傷ついても
 道は振り向いたときをこえ
 続いている
 今も 気がつけば 夕闇に 落ちる夕日

 誰でも同じさ 歩いていく
 つまずき 笑い 悲しみ
 私でよければ 真夜中でも
 考えてばかりいないで

 弱気なときはなしてよ
 ここにいるよ
 いつもさぁ 明日は来る
 信じて 傷ついても

 笑顔みせて
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どんな円を描こうと

2009.11.26 18:30|つれづれごと
自由学園明日館で、友人の結婚式。
ほんとうにあたたかくて彼女たちらしい素敵な式でした。

   cimai作のパン PB230160[1]
  cimai 制作のパン。魔女宅の「kiki」のパンみたいで胸おどる。


披露宴の乾杯のごあいさつでご紹介された
内村鑑三「後世への最大遺物」のことば。
勇ましい高尚なる生涯こそ、それだ、という。

 この世の中は悲嘆の世の中でなくして、
 歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、
 その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。


新郎が、さいごのあいさつで、
しあわせとはささやかなものこそしあわせだと思うから、
そういうささやかなしあわせな毎日を生きていきたいと言い、
あぁさいしょの、”勇ましい高尚なる”暮らしを、ふたりは歩むんだなと
おおきな丸がむすばったようでした。

そのおおきな美しい丸のなかで、わたしは朗読をさせてもらいました。
あの空間で、いつか朗読できたらなんて、思っていたので
こういうかたちでできるなんて、と、ありがたかった。


   白い紫陽花


先週末のヨガスートラのクラスのこと、
うまく書けそうにないので書いていないけれど、
何かとてもおおきなまた経験をしました。
それを、友人の結婚式の最中に、ひしひしと実感していました。

一緒に列席したひろとも、しばしの別れ。
それぞれの、10年に向かって。
どんな円を描こうと、心はいつも共にあらう、腹心の友よ!!

Anne―赤毛のアンの贈り物Anne―赤毛のアンの贈り物
(1991/11)
ルーシー・モード・モンゴメリ

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そういえば、先日GALLERY360°で
華雪さんの公開制作を見学していたとき取材されていた方は、
なるほどJ-waveナビゲーターのレイチェル・チャンさんだったんだ!

ひびの跡 ATO

2009.11.23 00:00|書くこと
まいまいまいにち。

『1Q84』読了。
『ムーミン谷の十一月』を、11月のうちにと読み始める。

ナオ先生(SHIZEN YOGA)のヨガスートラ特別クラス。
産調時代の同僚ゆみこさんと。
その後お茶。ゆみこさんとガールズトークから禅の話まで。
ゆみこさんがげんきになっていて、うれしかった。

いただいた招待券でトリートメント。至福のとき。

田中清代さんの個展。
~H.C. アンデルセン・おはなしのイメージ vol. 4
「小さいイーダちゃんの花」
2005年から開催されてきたこの展示が、
ことしは、本の原画展ともなったという、その跡。

なんてすばらしいことだ。

小さいイーダちゃんの花―田中清代のアンデルセン童話 (田中清代のアンデルセン童話 1)小さいイーダちゃんの花―田中清代のアンデルセン童話 (田中清代のアンデルセン童話 1)
(2009/10)
アンデルセン田中 清代

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その後、
gallery360°で華雪さんの公開制作見学

ようやく華雪さんご本人にもお会いでき、ふたことみこと、ことばを交わす。

」という字を書かれていた。
「雪」という字には、そもそも、すすぐという音と意味もあるそうだ。
知らなかったが、確かに「すすぐ」とタイプしてみたら、変換候補に出てきた。
雪ぐ。

まっしろくうすい紙に、
華雪さんご本人の髪の毛で作られた太い筆が、はしる。
その気配。
すすぐという意味を持つ、「雪」が、
それを想う華雪さんの跡が、墨となって、のこっていく。

雪は白い。
その、白い紙に残る、墨の黒が「雪」の気配、ATOを浮かび上がらす。


書は、わたしの創作と、似ている、
と、僭越かもしれないが、感じた。

無性にむねがふるえた。
やはり、信じることだ、と 感じた。


ある時、テレビから
「哲学は日常の底から始まる」という哲学者の言葉が聞こえてきた。
日常の底とはどんなところだろうと思った。
いつもそこから始まり、立ち返る場所だろうか。
私にとっての日常の底は字を書き、ちゃぶ台を置く、
この場所だった。


  『書の棲処』「日常の底」(華雪)より抜粋

書の棲処書の棲処
(2006/06/01)
華雪

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THIS IS IT

2009.11.19 10:03|聴いた音楽のこと
観た、聴いた、体感した、「THIS IS IT」

その夜は朝までマイケルの夢をばっちり見た。


泣いて観るのは違うと思っていた、
だからあまり泣かずにいられた自分に良かったと思った。

マイケルは天使だ。
マイケルのバラードはマイケルの透明なこころをそのまま取り出したよう。
その透明なこころで生きてきたことはどれだけ傷つくことが多かったろう。

わたしはいつも憤慨していた。
マイケルがスーパースターとしてわたしたちに届けてくれているものを考えれば
というかそれだけがイチ視聴者にとってのリアルなのに
ゴシップなんかで彼を笑いものにできるなんて
その感覚を持つ人をわたしは信じないと思って。
でも、わたしのまわりの友人たちだって、笑っていた。
TVのなかだけじゃなかった。
もうマイケルは、笑われて良いんだみたいになっていた。
わたしはほんとうにそれがイヤだった。
なにもしらずに「流される」ことに甘んじて、恥ずかしくないのかと思った。
でもそれは、あまりにも、あたりまえの風潮になっていた。

だからわたしはマイケルをどこかでかわいそうとして
わたしはマイケルを特別に理解していると、思っていた。


でもぜんぶ吹き飛んだ。
マイケルがいつも笑顔だった。
マイケルは、かんぺきに、ショーマンで、プロフェッショナルで
アーティストで、創造者で、
謙虚だった。
そして、すばらしいダンスと歌声だった。

それだけ。
最高に極めたそれだけだ。

マイケルジャクソン。
彼は本当に星だ。
宇宙に輝くひとつの星だ。

なぜか、ディズニー映画の「ファンタジア」を思い出した。
大魔法使いに扮したミッキーマウス。

マイケルはリアルに、
あの銀河に、宇宙に、指揮棒を振っていた魔法使いだ。
ただそれを奏でるのは、
魔法使い自身の細胞。

マイケルの歌い方は、まるで、透明の羽をこすりあわせてるみたい。
踊りもぜんぶ、マイケルのなかから出てる。
それは生命の本質の喜びの姿。ビートがもう、すごい。


マイケルは、なににも加担しない。流儀とかはやりとかじゃない。
じぶんを信じて、マイケルジャクソンというひとつのジャンルを生き抜いた。
ジャンルってことばこそ陳腐なくらいだ。

その姿は、やはり、まっしろな、そして生命の本質の
喜びで満ちあふれた幼い子どもとこそ
共鳴できるものなのだろうと、
いや、マイケルに共鳴するのはだれもがだ。
でも、マイケルが、共鳴し、共にいることで孤独じゃないのは
そういう、命むきだしの、命そのままのちいさな人々。

ああこんなことを書きたいわけじゃなかった。


愛、
THIS IS IT
それこそがこれ

和訳で、これを「まぎれもない愛」としている箇所があった。

THIS IS IT

Love is real, Real is love
と同義だ
と、ごく個人的感傷で想ったときちょっと鳥肌がたった。


マイケルが最後に遺したものは
至上最高にシンプルで、愛のかたまり。

ころんと、石ころを渡されて、手のひらに残るみたいに
ものすごくリアルに
マイケルに手渡された。

わたしたちは、愛というでっかい石の塊の、地球に住んでる。


マイケル、ありがとう。
あなたは永遠だ。

よかった、マイケル。みんなあなたが、ほんとうに大好きだ。

マイケルジャクソンという人と
同じ時代を生きられたわたしたちは
ほんとうに、幸福だ。

浄化のサイクル

2009.11.18 00:01|つれづれごと
その日はおひさまがあたたかく照っていて
お昼過ぎからうちを出た。

まず向かったのは知人の個展。
が、わたしったらおばかさん、確認不足でその日は休廊日!
でも、すぐさま気づいた。
前回ここに降り立ったとき、わたしの携帯電話がとある訃報で鳴った。
「また悪いことがあったらどうしよう」とネガティブで余計な考えが
なかったといったら嘘になる。

人通りの少ない大通り、
うたた寝してるような雑居ビルといっしょに
降りそそぐ陽射しをいっぱい胸に吸い込んだ。
きっとここに来ることは、必要だったんだな。
ゼロのばしょにするための。


そのあとは九段下。千鳥ヶ淵を眺めながら腹ごしらえをして
さいきん何度か足を運んでいるギャラリー 册へ。
能楽師でロルファーの安田登さんのWS
からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ
に参加した。細胞の喜ぶ時間。

「本のミクロコスモス」という展示内の企画だったが
その展示もとっても見応えがあった。どれも読みたい本ばかり。

安田登さんの新刊
『身体感覚で『論語』を読みなおす』をサイン入りで購入。


そのあとは
丹原要くんのピアノと岡元敦司さんのバリトン(歌、語り)
のコンサート。
要くんとは共演もしたことがあるのだけれど
彼はことばとピアノ(音楽)にとりつかれているひとりで
要くんが主催するコンサートはいつも趣向が凝らされている。
メロディと物語(ドラマ)の”メロドラマ”。
前回はパディントン。
今回は、なんと『ベロ出しチョンマ』

すばらしかった、すばらしかったのだけれど。。。
わたしにとって同作は、トラウマ的作品。
映画と本で、わたしには3つ二度と見たくないものがあって。
(ひとつは、映画「セブン」、ひとつは映画「ダンサーインザダーク」。
 そしてもうひとつはこれ。チョンマ)

なぜ、よりによってチョンマを選んだの! 要くん!

聞いている内に悪寒がしてきて胸が痛くなり涙がこみあげ、、、
そして本当に、発熱してしまった。笑

岡元敦司さんはイタリアに8年間いたとかで
ほとんど同世代だろうに、その声には、
長い歴史を思わせる深みがあった。
プログラムに、武満徹と谷川俊太郎の
「死んだ男の残したものは」もあったけど、すばらしかった。
チョンマのあとには、美しいイタリアの歌を歌い上げてくれた。
それがあまりにも明るく陽気で喜びで満ちていたので
うれし涙が出た。


で、その夜は、汗をかきかき熱を発散したが
けっきょく翌日もダウン。夕方にはまた熱が上がった。
でも、その翌朝にはすっきりげんき!

たぶん、一日も早く『1Q84』も読み終えた良いのだろうと
予感している。

すべて浄化のサイクルだとも。
おひさまの浄化。
おひさまの光は闇こそがそれを映す

ヨガシリーズクラス、はじめて欠席ザンネンだった! 

麦チョコブレイク

2009.11.13 15:18|暮らし
20091113151838
今日はあんまり寒いので
湯たんぽを腰にあてあて仕事をしてたら
心地よくって眠くなり
麦チョコ持って屋上に来ました。


そういやチャカ・カーンは、
オリジナルのチョコレート「チャカレート」っていうのを作って
アメリカの有名デパートで売ってるそうな。
チャカレート! かわいいネーミング。
チャカ・カーン・ファウンデーションという財団を作って
慈善活動もしているって。

チャカ・カーン

2009.11.12 18:00|聴いた音楽のこと
立冬のころの雨を山茶花雨というそうです、
季節が前進する雨降りなのですねー。
そして今日は、武蔵野八幡宮を通りかかったら
酉の市がやっていたのでのぞいてみました。
熊手屋台のきらきらに、年の瀬気分、高まる!


先日チャカ・カーンのライブを観ました。
わたしにとってチャカがぐっと近づいたのは
映画『永遠のモータウン』で、
マーヴィン・ゲイのwhat's going onを歌い上げてる彼女が
もうほんとうにすばらしくて涙が出て
ぜったいに一度生で見ておきたい、聴いておきたいと思ってました。

チャカ、まるで太陽神みたいだった。

チャカは、アフリカのことばで「炎」という意味で、なるほどです。

MC、もちろん英語でわたしはあんまり分からなかったけど
説得力が、伝える力が溢れてて、ちゃんと何かが通じてしまう。
彼女は言っていました、
ひとりひとりに神が、天使がいることを忘れないでって。
いっしょにがんばろうって。

一番印象的だったのは、曲が終わって演奏が止まっても、
チャカの身体にリズム残っちゃってたり
声が、歌がとまらなかったりしてたこと。

バックの演奏がおわったあとにシンガーの声だけが残る
っていうのは、めずらしいことじゃないけど
そういう効果的な感じでやってるんじゃなくて
炎がまだくすぶってる感じで、すごかった。

彼女が音楽をひっぱって中心にいて
さらに大きく包んでもいるんだなぁ。

スター、女王、そういうのを超えて
彼女の人生そのものが歌うことなんだなぁ。
いのちで歌ってるんだなぁ。
わたしがこの世に生まれる前からシンガーであり続けた
チャカ・カーンは、やっぱりやっぱりすごかった!

音楽を通してたくさんの仲間ができたと語り、
哀悼の意が込められたマイケルジャクソン・メドレー。
チャカといっしょにマイケルの追悼をできるとは思わず、泣いた!
来週には「This is it」を観る。わたしどんだけ泣くんだろう。
泣かずに見られたらいいな。


おひさまおひさまおひさま。

ちょっとアイデアがあって、
ヨガでナオ先生が太陽のマントラやおはなしが
すごく響いて、
そしてチャカ。

チャカはもちろんバンドメンバー全員の黒く美しい肌が
気品で満ちて
生命の喜びが内側からあふれ出てるように見えた。

先日見た、セバスチャン・サルガドの「アフリカ」という写真展でみた
やはり美しい目と肌をした人々を想った。
それは、もしやすると不謹慎で、
また浅はかなのかもしれないけれど。


おひさまおひさまおひさま。

球根のゆめ

2009.11.09 18:00|書くこと
先日、せんぱい友人の個展を見に出かけた。

ホリグチナオコ個展 いろいろいろ
 ホリグチナオコ個展 いろいろいろ

去年の展示にもあった「ことばはこ」。
1回200円のこれまたかわいいくじを引いて、
球根と、なおこさんセレクトの「ことばのメモ」が頂けるしくみ。

わたしは、なんと当たりくじで、球根ふたっつ。
ことばは、「三つに一つは見切ること」というものだった。
みんながみんな勝とうとしていて、
じぶんを特別だと思っている という。ほんとだな。肝に銘じよう。

091107_1414~01

次の日、さっそく鉢植えにした。
ホツミさんに聞いた、「分球」のはなし。
球根の花が咲いて緑も終わったら、しばらくして掘り返すと、
球根がふたつに別れているんだって。
ふしぎだなーへぇー 来年はやってみようと思いながら。
何色のチューリップが咲くかしらと、わくわくしつつ。

その夜のこと。
夢を見た。

去年植えたチューリップの球根を掘り返そうとするわたし。
すると確かに、土の中から、ふたつに増えてる球根がでてきた。
「わぁ、ほんとに増えてるー 
 ”ふしぎなポケット”みたい!」
そう思い、手にしたそれは、、、

ペン だった。筆記具の。

でもそう思ったのは目覚めてからで、
夢のなかでわたしは、
球根のふしぎな魔法に見とれつつ嬉しくて
”ペンの球根”を手のひらにとって土を払い
まだひとつに繋がってる部位をやさしくパキンと分けた。

いいゆめ だったなぁ。とても。

「歩いても歩いても」

2009.11.04 22:43|映画のこと
「大丈夫であるように―Cocco終らない旅―」以来、
是枝監督の映画には惹かれ惹かれて、
先日はようやっと「歩いても歩いても」を観ました。

        歩いても歩いても

これはほんとうに言葉で説明するのにはむずかしい映画で
だけどとてもつもなくおもしろかったんです。
たった1日のできごと。
登場人物は、長男の命日に集まった家族たち。
それだけ。

本音という上糸
たてまえという下糸、
しかも、それぞれの立場の。
そういうのが、何十年も歴史ある一家の上に
さらに今日も折り重なって、
こわいほどに美しい紋様を描いていく。

わたしはもうすぐ結婚して丸4年目をむかえますが
やはり、これは、「嫁」っていう
あたらしい家族のなかでの立ち位置を経験したからこそ、
すごくこの映画のおもしろみが分かる。

きっと1年目2年目ではこうは見なかったかも知れないし、
それは同時に、
ほんとうにいろんな見方があるんだってことでもあって、

スキマだらけのようで
もうだれも入り込める余地がないようでもあって

すごく、家族像がリアルでした。
樹木希林があやしく光ってた。
motherhoodっていうものの本質を、随所に、見た気がしました。
そして、じぶんのなかにも。

最近ね、ちょっと調子が悪くても、台所に立って料理すると、
ちょっとの不調は治ってしまう。
これ、わたしの本質だと思う。
家庭的とかそういうことじゃなくて、もっと本能で、自然に。


映画中盤の頃、チクリチクリとくるセリフが重なったとき、
わたしは思わず
「そんなこと、言わなきゃ良いのに。優しくないなぁ」
と、苦笑しつつ呟きました。
すると、一緒に見ていた徹夜明けのだんなが

「・・・やさしいんだよ。」
と言った。

ちょっとのろけですが、
この人の感性、っていうか、やっぱりぶれない、彼らしい視点で
良いなぁとつくづく思った。

”やさしんだよ。”ってことばも良い。

本音とたてまえ?
どうだっていいじゃないか。
みんなあるさ。
ぜんぶ本音さ。
それでいいじゃないか。
やさしんだよ。

今日見た、わたしの通うSHIZEN YOGAのブログに、
ラマナンド先生が特別WSで話していたという
車で外出した娘と家で待つ母の話を紹介されていました。

これもまたすごいタイミングだなー。
そうそうこういうこと。

で、だんなが、
「やさしいんだよ。」
といえるのは、本質を、いつも見失わないから。
マインドもあるけれども、
ちょっと立ち止まってことばを待つ間に、
愛とやさしさ=今、本質 に、立ち戻れるからなんだな。


これから長い人生で、いろんな人に出会うだろう。
関わり方は色々に。
そのなかで、言われたことを真摯に受け止め、
じぶんが誠実であれるように努力しよう。
そしてなるべく朗らかに、
差し出された言葉をたいせつに頂いて食べていこう。

映画の中で、3人の子どもが、
ピンクの百日紅の花に手を伸ばすシーンがあって、とても美しかった。
あのように、
あのように。
と、思う。
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