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tuckchickborn>hisano

Author:tuckchickborn>hisano
大川久乃です。

『はたきがけこうしん』(文・大川久乃 絵・下田昌克
こどものとも年中向き/福音館書店/2016年6月号



『キャベツのくすくす』(文・大川久乃 絵・伊藤秀男
こどものとも年少版/福音館書店/2012年6月号



定期購読のほか、
お近くの書店、
福音館書店MO係 TEL:03-3262-1642でご注文可能。



chatterbox:おしゃべりな人
chatterer:さえずる小鳥
Char:ちゃあ
    名に「久」のつく女児の愛称

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梅ジュースと選挙

2009.08.29 09:13|暮らし
ことしは恒例の梅酒漬けの際に、梅シロップも漬けました。
梅酒と違って2ヶ月ほどで飲めるということだったので、
先日解禁し、いただいてみると、これが美味でしてー♪
炭酸で割ったりお水で薄めたりして頂いています。

作り方はいたってカンタン。黒酢と氷砂糖でつけ込むだけ。
これは来年からも作ろうと思いました。
あぁ、蔵のある家がほしい。。。

二十四節気でいうと、今は暑さが峠をこえ後退を始める処暑
次候の天地始粛(てんち はじめて しゅくす)、
ようやく暑さが鎮まるという意味だそうです。
まさに、ですね。

先日ヨガで、グナ三元素の話しを聞きました。
万物万象はラジャス・タマス・サットヴァの
3つのグナによって成っているという考えです。
それぞれが活性・鈍性・中性みたいな意味で、
それらのさまざまな組み合わせで、
春が夏になったり、太陽がのぼって朝が来たり、月が満ち欠けしたり
女性には生理が来たりと、ぜんぶぜんぶが起きているっていう。
それは人間のこころをも成すもので
変容していくものにより成っているから、ひとつの状態でとどまることはない。
常に変わっていくもの、
そういう性質のものなんだという話しでした。

いい状態をキープしようとか、いいバランスを「得よう」とするのではなくて
変わっていくことを受け容れること。
その瞬間瞬間の自分を、最善の光と知ること。

話しを聞いていてつくづくおもしろいなぁと思いました。


そんなわたしたちの暮らしにとってたいせつな総選挙が行われますね。
そこでぜひ参考にして頂きたいのが、
虔十の会の坂田さんとマエキタミヤコさん(キャンドルナイト仕掛人)による
「エコ議員つうしんぼ」です。

全国全候補者に宛てられた設問はどれもかなりつっこんだ内容。
アンケートの回答率が低いところが少し残念ですが、
ぜひ見てみてくださいねー ↓クリック
   エコ議員つうしんぼ

またさらに、この選挙の投票時に
「最高裁裁判所の裁判官の国民審査」が行われますが
これが衆議院議員選挙よりも情報が少なくて分かりにくくて、困るところ。

でも、今回はわたしも、知人からなどの情報で、
それじゃあいかん! と思っています。

最高裁判所裁判官国民審査」でネット検索すると色々出てくるし
よければこちらの内容も参考にしてみて下さい。
っていうかわたしも参考にしまーす。


忘れられた一票 2009★最高裁判所 裁判官 国民審査 判断資料より、
国民審査の×ガイド

Live in peace.jpより、
最高裁判官をあなたがチェック!!

死刑制度のことも、重要問題です。
わたしは今、この制度については反対も賛成もすっぱり言い切れません。
でも、田口ランディさんブログのこの記事を見て、また深く考えさせられています。

田口ランディ日記21.8.26記事「一夜限りの金持ちドリーム」


先週から公開になった
映画『ちゃんと伝える』も、見てね。
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奇跡を想う@SPICE cafe

2009.08.27 00:00|tuckchickborn
戦災から焼け残り「奇跡の土地」と呼ばれるという
墨田区文花、押上にええこと訪れました。
おめあては「東京カフェマニア」で見つけた
SPICE cafe(スパイスカフェ)。 (食べログ)

とってもいいお店だったー おいしかったー とご満悦。

思うけど、ええことのつながりはふしぎだ。
なんだか家族みたいにあたりまえすぎてあまり考えなかったけど、
高校の同級生だったんだよなぁ
2年生の時たまたま同じグループになって
でも近からず遠からずってところで
3年生の時にまた同じクラスになって。
そこから、いっしょに展示をするってことになるまでも
2~3年かかってる。かかってる、っていうかなんつーか。

ええこがいて、ゆきがいて、体育の授業中に
3人で空ばっかり見てたこととか、ほんとうにつくづく私たちらしい。
学校の思い出!っていう3人じゃないところも。
ただ、3人でいるときに流れてた空気とか、空の雲とか高さとか
そういうことは覚えている。
覚えているというか、
そういう空が今日の空にも、わたしの頭上にはあるっていう感じだ。

どこに向かうでもなく書(描)いている自分。

tuck chick bornをはじめてからの歩みは
いつも、何かに向かっての創作だったね。
来年展示やろうとか、これ次とりかかろうとか。
でもテーマはいつもtuck chick born=うまれたころに戻る。

真摯なる矛盾。

もうすぐ10年になる歩み。

わたしは知っていたように思います。
tuck chick bornという奇跡みたいな名前をふたりで見つけて
名付けたとき、
この歩みは、まずは「遠ざかる」方向に行くだろうと。
なぜなら、円上の道のりは、まず離れる方角を向いているから。

とりあえず10年。ささやかに、でも、10年だ(来年4月には)!
はっきりいってその半分以上の月日が、
ええこもわたしもスランプだったね。
前みたいに、バンバンただただ書いてる自分じゃあなくなって
いちばんそれに苦しんでた。

でも今、ふしぎなタイミングで、ふたりがつかみかけている。

今週のヨガでナオ先生が言っていた。
まずは枠にはまるってこともだいじ。
反発したり、異端児になったりするのも、枠を知ってそれに抵抗するから。
さいしょからさいごまでパンクな人ってそういないじゃんって。
あぁ、そやなぁって、しみじみした。

尊き10年。

これからも、どこに向かうわけでもなく
奇跡の連続で成るこの足もとの大地を踏みしめて。
踏みしめる力が生む対極の力で、上へ前へと進む。

そういう足取りで、そういう歩幅で
たゆたうように、
踊るように、
行ったり来たり、していきたいです。
明日も明後日も10年後も50年後も、「奇跡の今日」を。

童話と絵本の展示みっつ

2009.08.25 00:01|絵本や童話のこと
けさ、自転車をこいでいたら、ぶびーんと蝉が飛んできて
こっちも走っているというのに、まさかと思う間もなく
わたしの胸に、着地☆ (ちょうどブローチみたいに?)
ほんっとーーーーにびっくり怖かったぁぁぁ。

ジジジッって暴れ出したらどうしようとひやひやしたけど、
しばらくおとなしくお休みになったら
ジッといって飛び立ってお行きになりました。

まったくわたしを木かなにかと思ったのだろうか・・・。

先日としまえんプールの仕返しで入らされた
お化け屋敷に匹敵するくらいのヒヤヒヤ体験でした。


さて。山梨で、3つの展示を見てきました。

ハンス・フィッシャーの世界   
~『こねこのぴっち』の作家がわが子に贈った絵本たち~


H.C.アンデルセン「人魚のお姫さま」―青い瞳の涙―

資料紹介「赤毛のアンと村岡花子」


左上から時計回りにアンデルセン、矢崎源九郎(隣は息子さんで今は俳優さんの矢崎滋さん)、村岡花子、こねこのぴっち

制覇! 2日間で3つの展示なんて初めてです。
つかれたー。でもすごく刺激的でした。

とくに、アンデルセン童話翻訳家の第一人者である
矢崎源九郎さんが、
主人の実家と同市内の出身だったと知り、興奮。
村岡花子さんも山梨なんですなー
そういうのって嬉しく、またそれだけで、やる気が出てきちゃうものだから
ミーハーなもんです。

矢崎源九郎さん直筆の手紙なんかの展示もあって、
まだまだアンデルセン童話というのがあたりまえではなかったころに、
”日本の児童文学界の人たち”のことを考え、
何よりアンデルセン童話に魅せられそれを日本の子らにも!と考え、
いろんな集まりの中心になったり主催したりしようとしていたことが伺え
あんなに早くに源九郎さんがお亡くなりにならなければ
山梨には何か、児童文学界の流れの中心となるものが
残っていたのかもなぁと思ったりしました。


村岡花子さんの「赤毛のアン」については
それこそ戦中、灯火管制のもと命をかけて翻訳されたのだけど
そういうことや、

ハンスフィッシャーの、流れるような線、踊るような風みたいな線、
おはなしのめくるめく展開の力とか、
笑っちゃうような展開とか、
ほんとうに絵の、線が、すごくよくて、


あー「没頭」、だなって。
感じました。貰いました。



きよしこきよしこ
(2002/11)
重松 清

商品詳細を見る

これも良かったですー。
泣けた泣けた。

なつかしいっていうんじゃなくて、
「記憶」というものがひとつの内臓みたいに体内に感じられて
そこがもうぐんぐん水を飲むみたいに
ぐんぐんページを繰って読み進めます。

こどもの心理描写や、友だち同士のあいだの微妙な温度変化とか
とっても繊細なそれらをことばにし、
また一方でことばにせず、お話の進行のみで
それを含み醸し出してるのって、ほんとにすごかったな。

まえがきあとがきで、著者がこれを「個人的なお話」と書いているけど
なんというか、
「個人的なお話」しか持ちえぬ物語の深い深い優しさ。

わたしも、そういうお話を書けるようになりたいと思いました。

『青い鳥』

2009.08.21 00:00|読んだ本のこと
青い 鳥 ことり 
なぜ なぜ 青い
青い 実を 食べた (北原白秋「赤い鳥小鳥」より)

青い鳥青い鳥
(2007/07)
重松 清

商品詳細を見る

読了。
もうほんとうに、、、、すばらしい本でした。
先日、DVDでも見たタイトルも含まれる原作本です。

短編集なので、ゆっくりゆっくり読み進めました。
この本にある、リズムで。

村内先生は、中学の非常勤講師。国語の先生です。
うまくしゃべることのできない先生。
でもだから、たいせつなことしか、しゃべらない。本気のことしかしゃべらない。
ひとりぼっちの生徒の、もうひとりのひとりぼっちとしてそばにいるために
いろいろな学校に呼ばれます。

わたしがとくに涙したのは
先日、引用した草野心平さんの詩のタイトルがそのまま題名になっていた
「ごびらっふの独白」
そしてさいごの「カッコウの卵」

「ごびらっふの独白」 は、先生をナイフで刺してしまった男の子が出てきます。
ひとりぼっちだった。
もっとひとりぼっちになってしまった。
自分でも、どうしたらいいのかわからないところにきてしまった。
でも。
村内先生がやってきて、
この「ごびらっふの独白」という詩を読んでくれた。
よかった、間に合ったと、言ってくれた。

みんな孤独で――。
村内先生は、こっこっこここどく、と言った。
カエルの言葉では、「孤独」は
「こっこっこここどく」になるのだ、きっと。
青い色のカエルたちもほんとうはみんな孤独なんだということを、
「ひむりーる」は知らなかったのだろうか。


ひとりぼっちだった少年が、
村内先生の孤独を理解し
たくさん殺めてしまったカエルの孤独を理解し、詩人の孤独を感じ、
また自分の孤独を受け容れる瞬間だと、わたしは思いました。
それは、ほんとうの、他者とのつながりの始まり。自分とのつながりの始まり。

うまくしゃべれない先生。
紹介したい詩があっても、顔を真っ赤にして、つっかえながら
苦しそうに、でも本気で、読みます。伝えます。

わたしはほんとうに、この章の村内先生の姿に
感激してならなかったです。
人に何かを手渡すと言うこと。
だれかのそばにいようとすること。

さいごの「カッコウの卵」は、卒業生と村内先生が再会します。
それはもう、この本を読み終わり、あるいみ卒業しようとする
読者への、強いエールでもあるように思いました。

カッコウのひなは、成鳥になったら、
やっぱり卵を別の鳥の巣に産みつけて、わが子を捨ててしまう。
でも、もしかしたら、羽の色が違うきょうだいの中で
ひとりぼっちだった寂しさを、
成鳥になっても忘れないカッコウもいるかもしれない。
そんなカッコウは、やがてつがいになったら、
巣をつくるかもしれない。
見よう見まねのみずぼらしい巣でも、
そこにたいせつなものを、そっと置くだろう。
卵をあたためながら、
たいせつなものがそばにいるよろこびを、きっと知るだろう。

「俺は理科の先生じゃないから、
 そういうこと、真剣に信じてるんだ。」
先生はそう言って、
「てっ、てっちゃんも信じてくれ」と付け加え、
ああ、いまのはあんまりつっかえなかったなと、と笑った。


これは、重松清のメッセージだと、思います。
信じませんか?
今ここから、虐待、差別、戦争をなくせるって、信じませんか?


嘘をつくのは、ひとりぼっちになりたくないからだと、言う先生。
嘘をつかないと、ひとりぼっちになってしまう子が、嘘をつくのだと。
これはヨガだなーと思った。

嘘は、偽物じゃない。
嘘という鏡に、なにが映るか。
うそをつく自分は、なんでうそをつくのか。
そう問うて出会う自分は、やっぱりそれもありのままの自分。

わたしは小学生のとき、
学校に行きたくないとよく泣いていた。
お母さんが病院お休みの日は、決まって仮病をつかった。
登校班の集合時間に間に合わなくて、
お母さんの自転車で連れて行かれたことも何度もあった。
体育の授業はほとんど具合が悪いとうそをついて休んだ。

背がでかくてかわいげがない自分、
ノリがよくなくて恐がりな自分は
小学校での居心地が悪いと思っていた。

中学のとき出会った体育の先生は2年間担任でもあって、
運動ができるできないじゃなく、
素直な大川を好きだと伝えてくれてた。
だから、かっこうわるくても、苦手でも、挑戦する楽しさを知れた。
ことばじゃなくて、わたしはわたしのまま、先生に愛されてるのがわかった。

せんせい、せんせい、ありがとう。
って、ずっと思っていたけど、
今もう、抱きついて力いっぱい言いたいです。ありがとう! って。

かがみのへや

2009.08.19 00:01|ヨガ
ことばは、捉えるものではなく
ことばは、かえってくるもの

そんなふうに思った。

ヨガ。
前回の宿題は、「呼吸がしやすくなるときを見てくる」。

さいきんわたしは思い出している。

幼いころ、母親の三面鏡の扉に顔を挟んで、
映るたくさんのじぶんとコソコソ話をしていた。
わたしはこれを、ほんとうに、よくやっていた。

あれについて、どう思う?
これについて、どうしたらいいだろう?
たいがい、ちょっとした相談事をしていた。

鏡の中のじぶんは、それぞれ勝手にいろいろな答えを返した。
わたしはいくつかの答えを聞いて、参考にして
ありがとうといって、扉を閉めた。

といっても、もっと無自覚に、軽いノリでね。
ほんとにしょっちゅうやっていたものだから。


念願の書斎が、小スペースながらに確保でき、
わたしはそこに座ると、
じぶんの中にスペースが広がるのを感じる。幅ができる。
ひとりで歩いたり、お風呂に入ったりするときにもあることだが
わたしはじぶんの中のスペースで何かをつぶやき、
すると、反響して、また別のじぶんが、何かコメントを返す。
とてもとても自由に。
そしてそのスペースが充実してくると
ノートに向かいことばを落としたい衝動に駆られる。


YOGAとは何か、を、昨日のクラスの最初に質問された。
わたしは、胸の中で思っていた。

「鏡のへや。」


自分のぽっとした想いが、自分の胸のもう一方の壁に届いて響く。
また別の壁が答えたり、別のところはジョークでつっこんだり、
また別のわたしは、それを諭したりする。

これを頭で行うとき、ことばを返すものは
じぶんではなく、
情報だったり、他者(との比較)の存在だったりする。


胸で行う。じぶんの身体が共鳴し、響き、ことばを返す。
それは、
幼い日の、三面鏡の中のたくさんの自分なんだろうと思う。

「ちゃんと 伝える」

2009.08.15 00:00|映画のこと
先日の記事で書いた映画『愛のむきだし』が、
ベルリン国際映画祭でカリガリ賞と国際批評家連盟賞のW受賞をされ
海外での注目もがぜん高まっている奇才・園子温監督。
その最新作『ちゃんと伝える』が来週いよいよ上映されます。

  ちゃんと伝えるチラシ表  ちゃんと伝えるチラシ裏


この作品中で流れる音楽は『愛のむきだし』に引き続き
作曲家 原田智英さんによるもの。

そして、今作『ちゃんと伝える』では
アコースティックギターの音が中心になっていますが
そのほとんどを弾いているのが
わたしの朗読でも演奏してくれている遠藤康之です!


『愛のむきだし』とはまたぜんぜん違うテイストの、
というか、これまでの園作品の中では少し異色らしい本作。
それでも、『愛のむきだし』のあのロックな感じは
そのなかで超純愛を描いていました。
(満島ひかりちゃんモントリオールFantasia Festivalで最優秀女優賞て!)

最新作『ちゃんと伝える』は、
アコースティックギターの、繊細なつぶやきのような
ポツリポツリと、それでいて鋭く
まさに人間のリアルな感情、生や死についてのこと、
怖い、けど、愛しい、
奇(鬼)才と呼ばれるにふさわしい
何かこう、超センシティブなシーンが
監督ご自身のリアルな故郷を地に、
一見淡々と美しく優しく繰り広げられていきます。

なにが描きたいのか。

それはいつも、
外側ではなくて
内側。
なのだろうと、思わされます。

そして見ているうちに、鑑賞者自身も、己の内側が
揺さぶられている。
むきだしになる。

わたしも一足早く試写会に行かせてもらい
見てきましたけどーーー
号泣でしたもん。

なんかもう、ほんとうに、ふつうに鑑賞しちゃってて、
かつ、
映画作品とわたしの、超個人的な、超密接な感覚に陥りました。

EXILEのパフォーマーAKIRAさん主演。
わたしのだーいすきな俳優さん
「スワロウテイル」や先日観たばかりの「青い鳥」などにも
ご出演の伊藤歩さん
奥田瑛二さんなどなどもご出演されています。

心底よりおすすめです!

うつくしい日に。

2009.08.12 07:27|読んだ本のこと
    草野心平
      詩
「ごびらっふの独白」

(詩中、日本語訳も、作者によるもの)


るてえる びる もれとりり がいく。
ぐう であとびん むはありんく るてえる。
けえる さみんだ げらげれんで。
くろおむ てやあら ろん るるむ かみ う りりうむ。
なみかんた りんり。
なみかんたい りんり もろうふ ける げんげ しらすてえる。
けるぱ うりりる うりりる びる るてえる。
きり ろうふ ぷりりん びる けんせりあ。
じゅろうで いろあ ぼらあむ でる あんぶりりよ。
ぷう せりを てる。
ぼろびいろ てる。
ぐう しありる う ぐらびら とれも でる ぐりせりあ ろとうる
ける ありたぶりあ。
ぷう かんせりて る りりかんだ う きんきたんげ。
ぐうら しありるだ けんた るてえる とれかんだ。
いい げるせいた。
でるけ ぷりむ かににん りんり。
おりぢぐらん う ぐうて たんたけえる。
びる さりを とうかんてりを。
いい びりやん げるせえた。
ばらあら ばらあ。
 

これは蛙語だが、日本語訳は次の通り。

幸福というものはたわいなくっていいものだ。

おれはいま土のなかの靄のような幸福につつまれている。

地上の夏の大歓喜の。

夜ひる眠らない馬力のはてに暗闇のなかの世界がくる。

みんな孤独で。

みんなの孤独が通じあうたしかな存在をほのぼの意識し。

うつらうつらの日をすごすことは幸福である。

この設計は神に通ずるわれわれの。

ジュラ紀の先祖がやってくれた。

考えることをしないこと。

率直なこと。

夢をみること。

地上の動物の中でもっとも永い歴史をわれわれがもっているということは

平凡であるが偉大である。

とおれは思う。

悲劇とか痛憤とかそんな道程のことではない。

われわれはただたわいない幸福をこそうれしいとする。

ああ虹が。

おれの孤独に虹がみえる。

おれの単簡な脳の組織は。

いわばすなわち天である。

美しい虹だ。

ばらあら 

ばらあ


うつくしいひ
  美しい虹だ。
   ばらあら 
   ばらあ 
   ひさの

からだひらいてみみひらく

2009.08.11 19:08|ヨガ
一ヶ月のシリーズクラスがまた始まった@SHIZEN YOGA
ナオ先生渡印二ヶ月の不在を待って
厳密にいえば、5月のクラスの続き。

つづけて「初回」を迎え今回の自己紹介、
もっと話したいこと、シェアしたいことあった気がしたんだけどなー
今の”迷い”や”決意”、そこをもたらした”気づき”だけを
シェアしちゃったのではないかな、と思ったりした。チョット。
でもこれが今のわたしなんだろう。

9月からまた本来の?、4ヶ月の時間をかけるシリーズが始まる。
そして、ナオ先生のシリーズを受け始めて一年が経つ。

今は今の、たいせつなとき。

新しい人たちに出会うと
新しい自分に出会う。
また、自己紹介のたびに、自分の過去やこれまでのことを
振り返り話をすることになる。
わたしの今がなにでできているのかを伝えたくなって。
そしてどういう自分を見せたいのかという
自分のエゴも、突きつけられる。

そういう意味で、なんというか、
誰かとともにヨガをする、誰かとともに生きるということは
いつも、他者の(に?)存在を反映した自分を意識させられること。

でも本当は、そういうことも全部ひっくるめて
誰に証明するでもない自分の「今」に
自分で立つこと、立とうとすることが、
わたしがヨガを通してしたいこと。

そういうことを考える今も、これまでの流れぜんぶがあってのこと。

昨日は、

胸の前で合わせた両手の親指を、
胸の真ん中につけて意識を向け、
マントラを唱えたあと、
他のどこでもないその場所、じぶんの真ん中に、
一礼をする、

そのいつもの流れを、
とても大切に、
とても繋がって、
行っている自分が居た。

この一ヶ月は、
また新しいメンバーと
新しい今だけのナオ先生のもとで

わたしはわたしに繋がることをもっと経験したいと思った。


ヨガのあと、夫がSOMETIMEにいるというので合流した。
佐藤達哉氏(sax)、高内春彦氏(g) のデュオ。
セカンドステージの途中から見たのだけど、
特にラストの3rdステージ、素晴らしかった。
Travels(Pat Metheny Group)」になるともう
素晴らしくって、時が止まってしまって、
ドラマティックなメロディだけがたゆたって流れていて
自分の悲しみや恐れやどうしよもなさみたいなものが
涙になってぽろぽろぽろぽろと流れ落ちた。

音楽とは、
言葉に捉えられず、また捉えるべきではないものを、
とらえた「ことば」たち
 なのではないかと感じた。

そして同時に、いつも捉えようとしている自分の
それに対するいいようのない恐怖感も、感じた。

My NocturneMy Nocturne
(2008/07/14)
佐藤達哉

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TravelsTravels
(1986/08/01)
Pat Metheny Group

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大雨時ニ行キ涼風至ル

2009.08.07 00:29|つれづれごと
いっしゅうかんまえ トラウマリスの夜。
明け方眠って、翌日はひろとATでランチ&アップルパイを食べる。
また秋に。互いを激励しつつ別れる。

そのまま山梨へドライブ。
94歳の祖母のお見舞いをして翌日戻る。

そしたらほらもう8月が来たもんだ。
ひび、これハワイィ。


日々是布哇(ひびこれハワイ) アロハ・スピリットを伝える言葉日々是布哇(ひびこれハワイ) アロハ・スピリットを伝える言葉
(2006/06/22)
北山 耕平デブラ・F・サンダース

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この本を、自分用ともう一冊、出版社から取り寄せたが
それを贈った心友から、ふと届いた結婚報告。
来月、ハワイで、家族だけで挙式するらしいって。

モーリオの風に吹かれ彼女に会いに、早く行きたいな。
彼女の、ohanaになったひとに、早く会いに行きたいな。


この本、8月さいしょの今週のことばたちがどれもすばらしい

4日

たとえひとりの子供の明るく笑う声を聞くことでも
それは世界を聞くことである。


5日

音楽をとおしてわたしたちはほんとうの自分に近づく。


6日

会わなければならない運命の人には
あなたのスピリットが会わせてくれる。


7日

雲や、夕日や、自然の美を見る時間をつくりなさい。


8日

あなたの頭のなかに
平和と孤独のための静かな場所を。


9日

絶対的な真実などあるわけもなし。



「大雨時行(大暑の末候)」が明けて、立秋だ。
初候は「涼風至」。
届きましたか? 涼しい風が。
届きましたか? ざんしょおみまい。

さいごに。田口ランディブログの「ハチロクに思う」をシェアしたい。
『愛のむきだし』で感じたこと
先日ゆうじんらと語らったことなんかとシンクロ?する部分もあり
背筋がのびる。

「平和を目的化してはいけない。
 平和というのはあなたの心の状態のことを言うのだ。
 あなたの内側にあるもの。」

大川久乃 という 名まえ

2009.08.04 00:14|tuckchickborn
お知らせです。

これまで使用していた筆名の
おおかわひさの 改め
大川久乃 と致しました。

理由は・・・、
なんとなく。で、あることがとても大きく、また頼もしいのであります。

きっと意識せずここ最近に考え始めていたことが
週末、2時間のドライブ中にぶわっと確信となり
そうしたい理由や意図もどんどんと己の中で明確になったので
帰宅早々、すぐにPCに向かい、
ブログのサブタイトル等々、修正しました。

ちなみに
tuck chick bornを出版したときは
カタカナでオオカワヒサノでした。
これがおおかわひさのになった理由はあまりないです。
というか、オオカワヒサノであった理由があまりないのです。


が、おおかわひさのと大川久乃には
とてもおおきな違いがあります。

それはほんとうのほんとうに本名だと言うこと。
いや、旧姓だけれども、
わたしの本質は、大川久乃であっておおかわひさのよりも
やっぱりその漢字の字面と、ひらがなの音に詰まっている気がします。

大川久乃には、
わたしのコンプレックスがたっくさん詰まっています。

それをひらいて(漢字をひらがなにすることをひらくと言います。校正用語かな)
おおかわひさの乃至はオオカワヒサノであるときは、
記号化した自分がいました。
アーティストでありたいというか。

コンプレックスというのは、ネガティブなものと捉えられますが
でも、わたしの根っこから生えているものです。
根がネガティブというと? ・・・ナンですが、
そうではなくて、重要なのは飾りのないこと。
生まれたときは肯定のみと思うのですが、
肯定も否定も劣等も優越もまた根っこから生えてるままの姿。

また今後、筆名について考えるときがあるのかどうかは知れませんが
今は、飾らぬ、自分のままでありたい。
創作においてはなおのこと。
決意表明みたいなものですかね。

ペンネームだなんていりませぬ!
背高のっぽで猫背だったわたしの胸のゼッケンの
母の筆跡や少女のわたしが書いた「大川久乃」。

座りが悪く、少し居心地わるそうな
それでも角がなくて、
ひらがなみたいにのびのびと
四隅にむかって手足を伸ばす(←それがイヤだったんだなぁ)
この4文字のわたくしで、書いて参ります。

書斎デスクも新調したし! こころ新たにがむばります。
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