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Author:tuckchickborn>hisano
大川久乃です。

『はたきがけこうしん』(文・大川久乃 絵・下田昌克
こどものとも年中向き/福音館書店/2016年6月号



『キャベツのくすくす』(文・大川久乃 絵・伊藤秀男
こどものとも年少版/福音館書店/2012年6月号



定期購読のほか、
お近くの書店、
福音館書店MO係 TEL:03-3262-1642でご注文可能。



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    名に「久」のつく女児の愛称

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「わたしのこころは落ち葉です」

2009.07.31 00:00|聴いた音楽のこと
わたしのこころは旅人です
あなたは笛をお吹きなさい
月の下に耳傾けて
こころ愉しく夜を明かしましょう

わたしのこころは落ち葉です
しばしお庭にとどめてください
やがて風吹けば さすらい人
またもやあなたを離れましょう
  

      「こころ」キム・ドンミョン:詩/キム・ソウン:訳より抜粋

沢知恵さん作曲のこの歌の歌詞は、
沢さんの叔父様にあたる方が翻訳された韓国の詩らしいです。
 →沢さんとこの詩の出逢いの経緯はこちらに。

その曲を、わたしはアンサリーさんのアルバム
「day dream」(2003)で聴いていて、とりこになりました。
day_dream.jpg

先日のちひろ美術館ライブでは、アンコールでこれを歌って下さって
ぽーっとしていたら、
3番のところで、急に泣き始めた彼女。
その真意は分からないし
彼女の日記の通りなら、わたしの考えはお門違いだったんだけど
でもこういうことを通して大切な体験をしました。

それは、この「こころ」の詩世界は、恋にとどまらず
人から人へのあらゆる想いについて謳っているって気づいたこと。
そしてまた、表現する者の想いでも、あるんじゃないかってこと。

歌い手も、
作家も
あらゆるアーティストも、
また、教師という職業、
子を「教育」する立場の父や母も。
伝え手であるすべての想い。

誰かが誰かに伝えようとするとき、
それはささやかなる落ち葉のようなもの。
風が吹けばまたさすらうほどの。

でも、その落ち葉の欠片が、
その庭に一時でも永遠にでもとどまるとき、
きっと、わずかながらにも庭の養分となり堆肥になる。


見たいと思っていた映画
青い鳥」(重松清:原作)がようやくレンタル開始になったので
さっそく借りて見ました。
banner01.jpg

そのなかで、印象的な台詞が
「運が良ければ、何か伝えることができるかも、しれない」

こころの歌詞について考えたことと
この台詞がつながりました。

でもだから、ささやかなるものに、真摯に。
本気の言葉で”、語ること。
よし。

虹のシャワー(野村成次・撮影  写真:産経新聞 by Yahoo!)
20090727-00000567-san-soci-view-000[1]
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ときどきのどきどき

2009.07.29 00:01|聴いた音楽のこと
吉祥寺の老舗ジャズバーSOMETIME
NYから帰国中の友人と夫と3人で訪れた。

鈴木勲さん率いるOMA SOUNDというグループ。
鈴木勲さんは大御所ベーシストらしく
だいぶご高齢と思われるファンキーなおじいさま。
一方ドラムとサックスがとても若い女の子で他メンバーも若い男性陣で
エネルギーの交感をし合っているのが、光線が見えるくらいで
すごく刺激をもらった。

いつも音楽は、演奏者は、特別な存在。
インスパイアされまくるんだなぁ。
音そのものに、また、奏でる人の姿勢や発するエネルギーに。

というわけで、その晩サックスを吹いていた方を追ってみたら
纐纈雅代さんというお名前でした。
またどこかで拝聴できるかな。


帰宅してからも深夜まで3人で真剣しゃべり場。
いまの自分のありのままを語れる相手があること。
しあわせだよね。ほんとうに。


翌日は友人を見送って、わたしはしばし昼寝をしてから
自転車でこんどはAnn Sally ライブ@ちひろ美術館。
麦わら帽子、かぶってさ。

このライブでアンサリーさんから受け取ったものは
わたしの生き方そのものの力になるのだろうと確信しています。

そして、東京のちひろ美術館には、わたしにとって特別な
そして時々必ず眺めたいと思う
たいせつなパネルが一枚、ある。

アンサリーさんの歌声に酔いしれたあと
閉館した館内の、そのパネルだけは見て帰ろうと立ち寄ると
泣けて泣けて、しかたがなかった。

あぁそうだ、あぁそうだって。

7.26の夕空
外に出ると、
青い空に、
白い絵の具を置いたかのような雲が浮かんでいた。


「すごく刺激」とか「インスパイア」とか
抽象的な? 外側だけをなぞる表現が続くね。
それは、いま感じるいろんなものやうねりを、
言葉でキャッチできないから。
というより、捉えちゃいたくない。つかまえたくない。
脈々と、わたしの血管をたゆたせたい。
そしていつか、花咲くみたいにことばにするのだ。


しっかり寝てるはずなのに、やたらと眠い今日この頃。
変化のときなのだろうと感じます。

ひろがくれたミニブーケ

わたしのohana 山形

2009.07.25 16:30|暮らし
ohanaとはハワイ語で家族のこと。
オハナ、お花。家族の響きがそうであるところがかわいくてよく使う。

だってまさにお花みたいに
みんなひとりひとり大切でいとおしいのだもの。

山形のかぞくたちに会ってきた。
わたしのたいせつなたいせつなかぞくたちに。

数年ぶりに車で行った。
昼間だったし、頑張って眠らなかった!というのもあって
緑がどんどんとみちのく色になっていく感じを体感で味わって
どーんと迎えてくれた山形は、大雨どしゃぶり歓迎の大拍手。



ありがとう! ただいま!

山形のかぞくは、わたしたちをいつも
「おかえり」って迎えてくれる。

ただいま!

妹のような存在の従妹の、ベイベちゃんに初対面。

ただいま。そしてようこそ。
なんともいえないきもちでいっぱい。

大きくすくすく育った、従姉のほうの娘ふたりとも
いっぱい遊んで、
さよならするときに
「ちゃあちゃん、お山に帰るの?」
と言われたのがかわいかった。
わたしを、トトロかなんかかと思ったのだろうか。。。


何度も行った十二滝。
前日の大雨で、水の勢いがすごかった。
帰りふと、山を見上げると、夕暮れの光がたまって黄金色に。
P7200090.jpg
シシ神様が現われるかと思うくらいの神々しさがそこにあった。


白糸の滝も、水の勢いがすごかったです。
P7210128.jpg


着いた日は大雨。
翌日は快晴で、満天の星。流れ星も見た。
帰りはまた、曇り空。

ちょっと急ぎ足での帰郷だったけど、
いろんな神さまと、会えた気がした。
会いたいohanaに、会えてうれしかった。

きせき

2009.07.24 00:00|tuckchickborn
宇宙では毎日きせきが起きてる。
今日まで紡いだひとつぶひとつぶがきせき。

わたしのなかで動く鼓動
ひと音ひと音もきせき。

うそじゃない。
これはほんとうにほんとうのこと。

太陽と月の聖なる交わり。

聖なる闇と光がいっしょに産まれた。

そうわたしたちはいつも。

みんな
みんな
いいこだよ

闇も光もそのままに。

みんなみんないいこだよ

今日の雨もそう言ってるね。
今日の呼吸も、そう、きせき。

おじぎそうと暮らす

2009.07.18 00:30|暮らし
おじぎそうの苗を買って鉢植えにしました。
おじぎそう

おじぎそう、別名ねむり草。かわいいんですよね。
葉をさわるとキューッととじて、
さらに茎のほうをなでると、へこーってこうべを垂れます。
まさに
「こんにちはぁ」とか「ありがとねぇ」とか言ってるみたいに。

ちょっと前から、近所の園芸屋さんで
たくさん売られていて、
通るたんびにあれもこれもさわっておじぎさせていました。

それを買おうと思ったのは、先日甥っ子と出かけたとき。

ふと、道ばたの草を見て、たたたーっと走りより、
そぅっとさわってひと言、「ちがうや~」。

その甥っ子の行動が、じぶんにうりふたつで!
というか多分、だれもがやったこと、あると思うんですが。


わたしが初めておじぎそうをさわったのは、
やっぱり子どものとき。
いつ頃だったのかとかは覚えてないけど、
どこで、だれとだったかははっきり覚えていて、
あのときの驚きとか、空気の感じとか、追随して覚えています。

秋田犬のミミがいたとき、お父さんと、夕方さんぽへいって
当時こどもの間では「底なし沼」とささやかれていた
空き地のはたに群生していたおじぎそう。
わたしはあんまり近寄らないエリアだったのか、
父に「草をさわってごらん」と言われて、試してびっくり。
そっとなでたら、ふわわわわーっと、
葉っぱが目をつむるみたいにとじたではないですか。

楽しくってかわいくって、
開いているのをぜーんぶ、閉じさせた記憶があります。

それ以来、そこ以外でも、そしておとなになっても
「お!」と思うと、近寄ってさわってみてしまう。
でもたいがい、それが、おじぎそうじゃないんですよねー。


ということで、これからはさわり放題。

調べてみるとおじぎそうは、5月5日こどもの日の誕生花。
甥っ子にもひと苗、プレゼントです。

日が落ちると、葉は閉じて、朝になるとぱーっと開くのも
いっしょに暮らしてみて知ったこと。
きれいな花も咲くみたいだし、楽しみです。

手塚治虫著『ガラスの地球を救え』ほか。

2009.07.16 00:05|読んだ本のこと
ガラスの地球を救え―二十一世紀の君たちへ (知恵の森文庫)ガラスの地球を救え―二十一世紀の君たちへ (知恵の森文庫)
(1996/09)
手塚 治虫

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読了。
手塚治虫さんの享年に刊行された、遺作。
まさに未来に託されたメッセージ。と表現しちゃうと物足りないくらい
病床にいるとは思えないような意欲と、感性が溢れています。
今からもう20年も前の本なのに、
テーマは、今まさにわたしたちが考えはじめていることばかり。

すべての子どもたち
そして、すべての表現者たち
読まれると良いと思います。 
「警告」として読むこともできるけど、
でも人類に対する絶対的な愛情と希望と願いに裏付けられてて
ポジティブなやる気が湧いてくるのです!

まず表現を、生命の尊厳を謳っているものかどうかの規制はしたらいいって、
少なくとも表現者は、それを意識したらいいってなふうに書いてたところ、
深くうなづいちゃったな!


ママのためのシュタイナー教育入門ママのためのシュタイナー教育入門
(2008/11)
ドーリス シューラー

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読了。
シュタイナー教育の、入門とは名ばかりで(?)
これぞ、ど真ん中、シュタイナーと、この著者のやさしいこころが
ダイレクトに伝わってきて、くるりんと包まれます。

ほんとうに、やれシュタイナー論、それ系おもちゃあれやこれや出てるけど
いちばん大事なのは、
ママという「わたし」が、「わたしのため」もちゃんと考えて、
「わたしの根っこ」を伸ばす。
「親になりながら、わたしがわたしになっていく」
という意識を持てること、なんですよね。

って、なんでわたしが読むんだという話ですが。笑

教育とは、自分を教育すること、というシュタイナーの考えが、
ひじょうに胸にしみました。

わたしは姉の子育てのよこで
めいいっぱいおばちゃんなりに悩んだり、苦悩してます。
それは、おばばかでも、姪甥離れできてないからでもなくて、
わたしの家族だから、なんだなと、ふっと真理を見ました。

「ママ」の立場とは違うので、未体験。
でも今のわたしの体験もほんとうに、いっぱい学びがあります。
さぁ、自分を育てよう。自分の根っこを伸ばそうって、
そうわたしが思えました。


すべてのママと、すべてのママを応援する人たちと
小さい人たちの存在に、自分が育てられている方に
読んでほしい。
すべてが光り輝いて見える!


というわけで、どちらもはげしくおすすめします。

けっきょくほんとうに
ひとりひとりが、じぶんを大事にすること、
じぶんのほんとうの声を知ること、
根っこを育てること、そこに戻ること
それがすべてのキーなんだよね。

先週、SHIZEN YOGAの瞑想クラスをもってらっしゃる
マキノ先生の特別クラス「マキノ先生のアサナ」に参加しました。

このクラス、先月もあって
心地よい音楽が流れるなか1時間半はあっという間で、
さいごのシャバーサナが、さすが瞑想の先生だけあってか
ガイドの声がとっても気持ちが良かったです。

呼吸のガイドが印象的だった。
吸うときは、宇宙のエネルギーを取り込んで、
吐くときは、そのエネルギーを体の手先つま先すみずみまで
行き渡らせる。って。
そして、爪の先とか、頭のてっぺんから、息を吐くイメージ。
ふかぁく呼吸ができた。
最近、ひとりで練習しているとき、呼吸があまり深くならないのです。
集中力が切れてる感じ。夏だから、かなー。

つゆあけまぢか

2009.07.14 08:13|暮らし
中国の九寨溝へ行ってきたみちよちゃんから
31歳の誕生日プレゼントを兼ねたお土産が届いた。

gyuukakukushi.jpg 牛角の櫛。

両親の血を引き継いで治療師としても
確実に真摯な成長を遂げている彼女は、
日本舞踊もずっと続けていて、
「今日は、わたしにとっても大切な日。
 踊りの源氏名をもらいました」
と手紙にありました。

   「霞園」

なんて美しい。そしてなんて彼女にぴったりな名だろう。


7月は、NYのひろが帰国していたりして
友だちとの集まりもあってほんとうに嬉しい。

ひとりひとりの今を知ることは
わたし自身の今を
別の光の当て方で知ることに通ずる。

みんなといっしょに歳を重ねていける信頼感は、
わたしのなかの、ひとりで立つ強さを、育ててくれる気がします。


うちのサボテン。花の咲かせっぷりが今夏、豪快です。
sabohana.jpg


今年はすいかに恵まれる。
suica21.jpg

北山耕平さんブログ「Native Heart」の今日の記事、涙でました。
「少しずつでものぼり続けることを教えるティーチング・ストーリー」

月と鳩のはなし

2009.07.10 12:02|暮らし
昨日の夜、すずむしの声が聞こえました。
もう秋ね~ なんて。暑いっすね。

小暑を迎えましたのでご挨拶。
暑中お見舞い申し上げます。

去年のこの頃は、女30ふたり旅したんだったなー。

さて七夕さんの満月、ごらんになれた方いますか?
笹の葉に短冊つけてベランダに出てみたら、
風が、雲をすこしのあいだ追いやってくれました。
すごくきれいで幻想的な満月でした。

その日は夕暮れもきれいで、まだほんのり明るい空に浮かぶ
七夕満月も、美しかったです。
曇っちゃったけど、でも、こういう七夕は珍しいなぁと思いました。

七夕といえば、小学校の七夕祭り。
6年生のとき部長を務めた演劇クラブで、
わたしが書いた脚本で劇をしたことを思い出します。

それに、各クラスから、思い思いの彦星織り姫に扮したカップルが選出され
どのペアがいちばんいけてるかって競うイベントがあって
わが家にあったおっきい色違いTシャツを着こなし
パンクな彦星織り姫となったリカコとエミコを思い出す。

小暑の七十二候。
今日までが温風至。
明日からは蓮始開の頃。
末候は、鷹乃学習(たか すなわち がくしゅうす)。
鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える頃という意味だそうで、かわいいですね。


あさごはんを食べていたら、どこからともなく鳩が飛んできて、
すぐそこの電線にとまってこちらを見ていました。

前のアパートに住んでいたとき
うちのベランダで卵を産みヒナが孵った鳩の一家がいたので、
ひさしぶりに顔を見せに来てくれたのかね~
と、だんなと話しながら、味噌汁をすすりました。

「鳩の恩返しかなー」とわたしが言うと、
パタパタパタッと飛んで行ってしまったので
見返りを求めてはいけないということと、
昔話で主人公がさいご
「一生働かずに楽しく暮らしましたとさ」
となるのはちょっとどうか、
でも年寄り夫婦がそういう恩恵を受けられるのは助かるね、
若夫婦にはだめかもしれないよねぇ、自堕落になるよねぇ云々
とも話し合い、

さぁわれわれも今日を頑張ろうという気になりました。
とさ。

「わたしがおひさまだったら」

2009.07.07 00:01|絵本や童話のこと
小さな絵本美術館 八ヶ岳館へ行ってきた。

わたしがおひさまだったら の絵の看板

ここを訪れるのは2回目だけど、今回はもうどうしても来たくて来た。
なぜなら、「片山 健 油彩による絵本原画展」が13日まで開催しているから。


わたしは片山健さんの創る、世界が好きだ。
感じてはいたけれど、
「絵が好き」なだけではないのだということが、ひしひしとよく分かった。

一冊の絵本を創るときのさいしょの動機や、
一冊の絵本を創り上げるまでに要する力を支えるテーマが、
たぶんすごく好きなんだ。

それは健さんが文も手がけるときもそうだが
文章作家が別の時も、それはもちろんしぼれることなく感じられて
たまらない。
でもやっぱり、健さんが文も手がけているとき、
文にもそれらは貫かれていて、やっぱりたまらない。

ただ、文章作家が別のとき、なんていうか、すごく勉強になる部分がある。
あぁなるほど、作家ってこういう仕事するんだって、うまくいえないが感じている。

さて、以前トムズボックスで、片山健さんの若き日の頃の
繊細な鉛筆画を拝見したことがあるけど、
今の画風とだいぶ違うことに驚いた。
でも、なんていうか片山健さんの場合、そのおおらかな画風には
いつも理由が、いつも想いが溢れていて
でも、溢れるままにではない緻密さ綿密さが、感じられた。

それが、片山健がたるゆえんというか、
片山健さん作品の魅力や完成度、唯一無二の世界を作り出している。

どうだ!という感じはない。
何があるかというと愛がある。
子どもへの愛情と、信頼と、希望が、あふれてる。
緊張してておおらかで、その真剣さが、片山健の今の画風の大胆さに
なっていったのだろう。仕掛けたんじゃないんだ。
蔓がのびるみたいに、そうなってそうなって、こうなったんだって感じ。

大胆になろうとしたのではなく、
単に子どもの生命力を書き留めてみただけでもなく、
ひとりの片山健という絵本作家の真剣さが、あれなのだと、私は思う。

無骨で、不器用で、(←これはほんとに勝手なイメージ。好みの押しつけ)
でもだから、何度も筆で色を置く。
葉や空の美しさは、その自然に実際身を置いたことがなければ
ぜったいに出せない。
片山健さんの人生が、実感と経験がなければ、出せない。

だからわたし、片山健さんの絵本を見ると、
書きたいとか頑張らなきゃってことよりも
生きようって思う。
いちばん、もうどきどきしながら、生きよう、どんどん生きようって思う。
だから、大好きなんだ。そんな気持ちになっちゃうんだもん。

で、たぶん、これって、片山健絵本の読者の、子どもも大人も、
読後感なんだと思う。
読後感が、生きよう、だなんて、さいこうすぎるよ。嬉しすぎる。

小さな絵本美術館八ヶ岳館
小川のせせらぎの音 林を抜ける風の音 小鳥たちの歌声 
お日さまの光ちらちらこぼれるなかに建つ小さな絵本美術館

国道沿いの花畑
原村、美しくのどかなところだった。
田んぼには稲が青々と伸びていて、ほんとうに気持ちが良かった。
藪!というのにふさわしい、緑のこんもり山がいっぱいいっぱいで、嬉しかった。
国道沿いにもこんなきれいな花がみんなで育ってる。



見たことないはずはないのだが、
片山健・絵の『きつねにょうぼう』
その構図のおとなっぽさや艶っ気や彩の美しさ、
夫婦の人柄や生活感やにおい、音までも原画から伝わってくるようで、
見ているだけで涙が出てきた。
この島国のあちらこちらに伝わる民話の、おもしろさを久しぶりに味わった。

きつねにょうぼう (日本傑作絵本シリーズ)きつねにょうぼう (日本傑作絵本シリーズ)
(1997/12)
長谷川 摂子

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いわずとしれた宮沢賢治の童話『狼森と笊森、盗森』の絵本。
片山健さんが絵を手がけて賢治の本って、はじめて見たかも。
今わたし、どの賢治童話の絵本よりもこれがいちばん好きかも。
特に、狼森で、狼たちが人間に驚いて、パッと火が消えるとこの絵が好きだった。

狼森と笊森、盗森 (ミキハウスの宮沢賢治の絵本)狼森と笊森、盗森 (ミキハウスの宮沢賢治の絵本)
(2008/10)
宮沢 賢治

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そして、こどものともより『わたしがおひさまだったら』
「わたしがおひさまだったら」

その発想は、超ポジティブ。
じぶんが、おひさまだったらだなんてさー
全人類にとどまらず、全命に頼りにされるってことだよ。
全人類に頼りにされることに対してポジティブにあること。
超いいよ、すげーよ。

わたしがおひさまだったら? うん、わたしもおはようって言うな!

「おはよう」って 大っきな声でね!

すばらしい庭

2009.07.04 23:20|つれづれごと
八ヶ岳の「小さな絵本美術館」にて
だいすきな片山健さんの展覧会がやっているので、行って来た。

そのまえに、去年の冬、清里へ行ったときに訪れた
森のレストランイゾルデに再訪。
ここはお庭もすばらしいので、どうしても昼にも来てみたかった。
それが半年少しで叶ってうれしい。

森のレストランイゾルデ

食事は野菜をふんだんに使ったフレンチ。
前菜からかなりのボリュームで、本当にすばらしい味。
店内は、ゆったりとした雰囲気で、肩肘張らず落ち着く雰囲気。

森のレストランイゾルデ

席から庭を眺める。
もう窓越しに、葉や花や虫たちの息吹が伝わってくる。
いい庭とは、そういう生気に満ちているもの。

小鳥が何羽もやってきて、水浴びもしていた。

森のレストランイゾルデ 庭

まるでターシャ・テューダーの庭のよう。
おもてなしのすばらしいこのお店のオーナーシェフ夫妻が
みずからその手で、愛情こめて、緑の世話をしているらしい。

森のレストランイゾルデ バラの門

バラも花盛りで、かぐわしい香りをただよわせていた。
アリも、ハチも、虫たちも、大きくって、すごく生き生きしていた。
思わず、呆けるわたし。

みのむし?

さて、では清里をあとにして、と車に乗り込もうとすると、
イゾルデ前の野の小路に、ぶうらり垂れ下がるもの発見。
まっこと立派な蓑虫でした。


半夏生。
火曜は七夕。
ことしも、短冊を書きました(近所のスーパーで)。

片山健さんの展覧会についてはまたこんど。

薬屋のタバサ

2009.07.03 00:30|読んだ本のこと
薬屋のタバサ薬屋のタバサ
(2009/05)
東 直子

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読了。
藤谷 治さんが
「『薬屋のタバサ』は驚くべき小説だ。
 帯に、心と身体がほぐれる、なんて書いてあるけど信用してはいけない。
 装丁も造本も美しく、「暮らしの手帖」みたいに見えるが油断するな。
 (略)この日記を読んでいるほどの人であれば、全員読んでもらいたい」
と(笑)、書かれていたとおり、
なんか、すごいきもちのわるい本だった。

でもなんでだか、ずっと読んでいたくて、
読み終わったら「もったいない」と思ったほどだった。

ひとり夏に読むのにふさわしい感じがした。
そうそう、夏が、良いと思う。

今ここにあるしかない。それがすべて。
その真実は、こうも多面的で、広大なのか。という感じ。
いろんな照らし方がある。
笑っていても泣いていても
竹を割ったようでも混沌としてでも
その真理は、ただひとつ。
わたしの足元はわたしの足元でしかない。

またまた田口ランディ氏のブログ
7/1付「私、何者」という記事

>新しい集団に所属すると、そこでどういう自分として存在していいかとまどう。
>ある程度の安定した関係を得るまで、私は何者でもなくなっちゃうからだ
(中略)
>言葉も、意志疎通できないととたんに、私って何者?状態に陥る。
>私なんて、ほんとに曖昧で、もろいものなんだ。
>言葉や関係に依存している。
>だからこだわらなくていいはずなのに、なににこだわってんだろうな


言葉や関係に依存しているに過ぎない
「わたし」という自意識。
あいまいで、もろい、その不確定な感覚が
きもちわるく、居心地わるいのは、
やっぱり、こだわっているからなのだろう。

気持ち悪くても、なんでも、ぜんぶひっくるめ、またぜんぶを省いて
そのあいまいで、でもただただ確かなモノはそれしかないってくらい
真理なもの。
それが、今ここにある、わたし、なんだ。

くるくるくるくる変化する、空のように、雲のように。
たゆたってたゆたって、ただ、在れれば。


ヨガ、したい。ナオ先生のクラスが受けたいなー
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