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大川久乃です。

『はたきがけこうしん』(文・大川久乃 絵・下田昌克
こどものとも年中向き/福音館書店/2016年6月号



『キャベツのくすくす』(文・大川久乃 絵・伊藤秀男
こどものとも年少版/福音館書店/2012年6月号



定期購読のほか、
お近くの書店、
福音館書店MO係 TEL:03-3262-1642でご注文可能。



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いのちヤッホー

2008.12.16 15:09|ヨガ シリーズクラス1
ハタヨガ入門シリーズクラス@SHIZEN YOGA 12回目! さいご!
さみしいようで、つぎへの展開の楽しみもあり
とにかくいつものように「今にあること」を意識できるように。

しずか~に、はじまったクラス。
呼吸を意識して、いつものさいしょのマントラ。

 大いなる力がわたしたちを守ってくれますように
 わたしたちが正しく学び理解する能力が与えられますように
 わたしたちの学びが光で満たされますように
 わたしたちのあいだに争い事がおきませぬように


黙想し、「わたしにとっての幸福とは」を考えシェアした。

わたしは、幼い頃からよく父親が言っていた「」を想った。
たいせつな人々とのを想った。そして、山や空や海を想った。
子どもたちを想った。無邪気という言葉を想った。

自分のなかに、自分のまわりに、
個人、家族、会社、集まりetcさまざまな単位の「内部紛争」が起きている。

でも、そのなかで暮らし、確かに無邪気に笑っている瞬間の子どもたちも、在る。
何かを逃避するでも放棄するでもなく
苦悩も矛盾も怒りも落胆も共にあるまま、無邪気に笑うおとなも、在る。

3ヶ月前は、自分の問題、家族の問題を、こうは捉えられなかった。
でも、確かにわたしにも、それらを無視するのではなく
無邪気になれるときがあることもいっぱい見つめることが出来た。

お気楽だから無邪気なのではない。
純粋=無邪気ではない。
無邪気は、作為やいつわりがないままに、
エゴも嫉妬もすべてあるがままにあることだ。

子どもはきれいな天使じゃない。
子どもはちいさな体にいっぱいのわがままもずるさも悲しみも持っている。
おとなを苦しめるほどのものを内に燃やしていたりする。

無邪気、輪。そこはとても風通しが良い。
こころが行き交う。嫉妬も思いやりもエゴも涙も。

人の輪、もしくは自然の中でそれを想うとき
わたしは、大地や空や風、友達と、同じ成分で出来ていると感じる。
山をきょうだいと、想うことがある。
夫や家族や友達がいる、それが至福で涙が出るときがある。
そのとき無邪気の気が満ちるんだ。


アサナは丁寧に、これまでのキーワードが復習のようにくり返された。

自分を信じる土台を作り、胸をひろげる。
目が見ている方向にしか、向かっていけない。
アヒムサ、サティア、アステア
わたしのなかにあるブロック、身につけた鎧。

わたしには、動き(アサナ)のときもいつも、
創作や人生に対する教えだとも、ビシバーシ感じまくった。

上に伸びるときは、まず足を踏みしめる。これは大きな気づきだった。
手は手の力で、首は首の力で、腰は腰の力で。頼らないというのも。
そうだ、わたしはその目的もありここへ来たんだと思い出した。
わたしはわたしの力で立つ。もちろんあらゆるものに支えられながら。
でも虚偽の力で立ちたくない。

最後に、もういちど黙想をして、
なぜ、自ら選んでここに来てヨガをしていたか
を考えシェアをした。

わたしは、一番最初に言っていた
自分自身になるために」に戻っていた。
スタートとゴールに、同じ目的がこころにあった!
わたしの目的と、わたしの意思が、ずっと共にあってくれたことに感謝したくなった。

自分自身になってどうしたいか。
愛しいものを愛し、書き続けていたい。
不必要なものを手放していく勇気が欲しい。
守ってくれているものや支え、それらをずっと信じられるよう強くなりたい。

これからの長い人生をかけて。

さいご、呼吸を味わっていたときにナオ先生が言った、
「この呼吸に、生きたいという意志があります」
あぁそうだ、生きたい。ぜんぶがぜんぶ、生きたくってのことなんだ。
わたしは生きていくんだー!!

ナオ先生、そして同じクラスを取っていたみんな、
ほんとうにありがとう。
ヨガをもっとやると良いと背中を押してくれた夫も、ありがとう。
超ぉぅ、たーのしかったよー! 生命ヤッホーヤッホッホー!

土曜日にあったイベント「意識のある暮らし第一回」レポは追って!

日曜はゆきの赤ちゃん、月曜は職場の、産休中の人が赤ちゃん連れてきてくれた!
嗚呼、いのちヤッホー!
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「これがわたしだ」

2008.12.10 17:23|ヨガ シリーズクラス1
ハタヨガ入門シリーズクラス11回目。
さいしょのマントラ。
そして黙想。ふたたびアステア(=盗みをしない)について。

わたしは今度の一週間は
ありがたい縁により何より嬉しいようなことがもたらされ
外に何かを求める、盗むということをあまりしないでいられた。
だからこの感じをキープできるようにしたいとわたしが言うと
笑顔で聞いてくれたナオ先生が「それは無理」とスッパリ。笑
ぜったいにまた、アップダウンはあるもんねーということ。
ハッ。まったくそのとおり。

キープしようとすると守って縮こまっちゃうから
何かが来てもまたすぐに自分の中を空にして
どんどん変わっていこうって解放していたほうがうまくいくって。

そーだー。
わたしはことし(去年?)「どんどん変わっていく」がテーマだったのに
じぇんじぇん分かってなかったなー
こういうときこそ、オープンハートなのか。

こないだひいたおみくじにも
「元気を出して流れのままに流れていけ」というメッセージがあって
そうか!と思っていたけど
気に入ったとこに来たからってまたそこに留まろうと
流れを止めたり逆らったりしたら、水は濁る。そういうことだ。

前々回から終わりに唱え学んでいるマントラは
「Closing Prayer」というもので
“どんな意識的無意識的行為も
 ナーラーヤナあなたに捧げます”

という意味が込められているらしい。

ナーラーヤナはすべての生命を創造したもの=Om
で、「神さま」というようなこと。
神さまでも、宇宙でも、ここは自分がいちばんしっくり来るもので
良いのだとナオ先生もよく言うけど
とにかく、意識を超えた、目に見えぬ偉大で大きな力のこと。


はぁ、なるほどなぁーと思ったのが、
つまりこれは、わたしたちの行為は(良いことも悪いことも)
自分ひとりで行っているわけじゃなく、
成し遂げたどんなにすごいことも、
神さまだったり、縁だったり、家族だったり、友達だったりがあって
はじめて自分がそうすることができた、という考え。
だから、自分ひとりの手柄として、自分の中に留めるのではなく
手放す、返す、捧げる。
これが、良いことも悪いこともというのが、重要だなと思う。
むずかしーのだけど。でも、おごるなということですよね。

でも戒めのマントラじゃない!

なんだか色んな感情が、このクラスの後にすでにあるんだけど、
ナオ先生に言っていただいた。

100%純粋じゃなくて良い。
急がないで、自分を生きて、まず自分を愛すこと。
きばらず楽しむこと! まずこれだね!


が今のわたしにいちばん大切なメッセージだ。
良いんだ、ぜんぶまるごと、良いんだ。

アヒムサ、サティア、アステア・・・
色々考えて色々触れて
自分のエゴ、自分の暴力、自分の嘘、自分の背伸び
このところ、いっぱい考え、認めたようで、
いやこの10年、この人生、ずっと認めてきたようで
これはだめあれはだめ、もっと純粋になろう、
もしくは、いんやもっと頑張ろうって、とにかく気張ってたのかも。

ほんとにほんとにまだまだですなー
ほんとにほんとに。
でも、これでいいんだ。
これからまだまだ生きて、これからまだまだ成長するんだから、
今は未熟でぜんぜんいいんだ。
悟るよりも、味わい尽くすが大事って、ほんとだ、そうだ。

前回クラスのじぶんレポの記事で
Sthiram(心地よさ)
Sukham(安定)
Asanam(アーサナ)
について書いたけど
ちょっと足りてなかったと、さらに深く説明をいただきました。

スッティーラムは安定性、安定していること、
それは落ち着いてること、足元、心、自分を見れている状態

スッカムは「スッ」が広がった、「カム」が心のスペース=ハート=生命=意識
だから、心地良いこと
それは感じるということをし続けられること、
心地よくてボーッとしちゃうんじゃなくて完全に目覚めてる
自分を感じることをしっかりできている状態

そのふたつが50/50じゃなくて
りょうほうともが100,100,あって、はじめてアーサナであると。

Sthiram(心地よさ)とSukham(安定)の両方ともが
自分のことをちゃんと見られている状態を作る要素というか、
土台になっていて
つまりはアーサナのときに、
自分を味わい尽くせるということが
すごく重要になるんだなぁというのが
よく分かったし、

今の自分にもたらされた、大きな大きなメッセージだなと

あーすごい、なんか今、ものすごくでかいものを感じてやまない。
これを書いているこの瞬間。 ありがたくってたまんない。

昨日は最近観たくてレンタルしていた『魔女の宅急便』を見た。
何度も見てるけど、今回は、
にしんのパイのおばあちゃんがキキを呼び出して
キキのためのケーキを焼いていてくれたこと
「誕生日を聞いて欲しい、またケーキが焼けるでしょう?」
と言ったところで、無性に泣けた。

そうだ、認められたくって、あたりまえじゃないか。
おちょうしもんで、いいじゃないか。
外に求めたって、いいじゃないか。
これが、わたしだ。すばらしき、みんながくれた今日のわたしだ。

じぶんじしんにじぶんでなる

2008.12.05 08:30|ヨガ シリーズクラス1
数年に渡り、ヨガスタジオというものに定着できなかったわたしが
今通っている吉祥寺のSHIZEN YOGAでの感謝祭
喜び勇んで出かけるようになっていた。
これもひとえに、ナオ先生と、シリーズクラスのみんなとの出逢いのおかげだ。

すごく楽しくて、たくさんはしゃいだ。
なんでこんなに、素の自分になれたんだろうと、あとで思った。


シリーズクラス10回目12月の最初の夜。
マントラを唱え、少し身体を動かしてから黙想した。

Yamaの三つ目「アステア」=盗みをしない ということについて。
自分が盗みをしているときについて考えた。

それで思ったのは……
初対面の人がたくさんいるような場へ行くとき
わたしは気負って、また、より深く出逢いたいと思って
例えばその場にわたしを呼んでくれた立場の人など
キーになる人の「すてき」を借りて、いや、盗んで、
普通以上に自分を背伸びしようと意識が働く。

それはけっきょく「いいとこみせよう」という緊張状態だから
ちっとも自分らしくいられなくて、孤独で、疲れてしまう。

それでも得るものや感動があるのは
他でもない、やはりその場にいた人たちの素敵さからだろうに
自分勝手に傷ついた自尊心は、その人たちの粗探しをさせる。
「あの人あぁだったけど、でも、こぅだよね」
とかって、帰宅後ぼやいたりする。最低デスワヨネ。。。


ヨガの考えでは、こういうことになっているらしい。

わたしたちは、わたしたちのなかにすばらしい宝物を
すでに与えられじゅうぶんに持っているのに
それを見つめず、外や他ばかりに 求め=盗みをす る。

そしてそれをする限り、満足することがないのは
盗みをしようと手を伸ばすところから穴になってしまうから。

盗みをやめ、自分の中の宝物に気づいたとき
穴は回復して、わたしのなかには
いつも素晴らしいものが満ち足りる。


あの、感謝祭の夜。
わたしは、何も心配じゃなかった。多少緊張はあったが
楽しみで、誰が来るのかな~と、胸をおどらせていた。
あの場で起きることに、未知だが、信頼をしていた。

それは居合わせた人たちがすばらしかったのももちろんだが
じゃあ、今までのは ?とよくよく胸に手を当ててみると
けっきょく自分自身の在り方次第、なんだ。


アステアの話のあと、
スッティーラム スッカム アーサナ
と、これだけでマントラになっているという
ことばのレクチャーから、アーサナを始めた。

Sthiram(心地よさ)
Sukham(安定)
Asanam(アーサナ=ヨガのポーズのこと)


ヨガのポーズとは、心地よさも100、安定も100、
それがあって初めてアーサナであると言えるらしい。
(心地よさ50+安定も50=それで100 なのじゃなくて!)

だからその、本当のアーサナに努めよう、と。

これはすごく難しいことだった。
自分は無理をしていないか?
一方で、妥協もまた、してはいないか?

身体の声を無視して無理することも、妥協してしまうことも、
自分の身体に対する、盗みだと、ナオ先生は言った。

だから、探りながら呼吸しながら、
スッティーラムスッカムアーサナになれるポイントを見つける。
汗がまたじんわり出て、この日はすぐに足元まで温まってきた。

三角のひねりのポーズ、今までにない心地よさがあった。
筋力に頼らず、呼吸で体勢を戻してくる。
そういうのも、時々、少しだけ分かったときがあった。

説明のとき、どんなポーズのときも
こもったり詰まったり苦しそうにならないナオ先生の動き
改めて、美しい・・・と見とれてしまった。
そうか、スッティーラムスッカムアーサナだからなんだ。


さいごには新しいマントラを唱えた。
良い集中のまま、ナオ先生に続いて、みんなで。紙はナシで。
そのときの音がすばらしくて
自分でも嬉しくなるくらいだった。


思い出していた。
わたしはこのシリーズクラスをはじめるとき、
今ここに生きる自分になりたい。
よりいっそう自分らしく軽やかに歩みたい。
必要でないものを手放していく勇気も持ちたい。
自分自身になりたい と言っていた。

特に出版社への持ち込み営業のとき
背伸びをしたり、ぎゃくに恐縮しすぎたりして
あとで「もっと自分らしく出来たら絶対に良かったのにぃー」と
完全ではなくとも、悔やみたくなんてやっぱりない。

自分が持っている良いもの、
自分の幸せを、もう分かってきているから
きちんといつも、それと繋がっていたい。
人と比べてもどうしようもないのだから。

自分自身になりたいとはそのことだった。

「ちゃあ」でいると、明るくて素直な自分でいられる気がして
シリーズクラスでは、ちゃあと呼んでくださいと自ら言った。
ええこもゆきも、学生時代からの友達はわたしをちゃあと呼ぶ。
子どものときは、ひさのの名で呼ばれるほうがめずらしかった。
あの頃の、わたし。

少なくとも感謝祭の日
わたしはそんな自分に、少しだけ、自分の力でなれていたんじゃないかな。

シリーズクラス、あと2回! 2008年も師走だす!

味わうカラダ

2008.11.27 08:00|ヨガ シリーズクラス1
祭日の振替休日でシリーズクラスが一週お休み。
冷たい冷たい雨の中、SHIZEN YOGAナオ先生の「ゆったりヨガ」へ。
このクラスは二ヶ月ぶり。

はじめのマントラを唱え、
足首のマッサージ、足指のマッサージ、
ふくらはぎふともも、膝のマッサージから始まって
肩、首、胸、腰、手首など座位のまま
じっくりじっくり動かしていく。
ただそれだけなのに、驚くほど感覚が冴え
凝りがほぐれて温まっていく。
体の中が巡り始める。

立ち上がり、片足を前に出しての前屈。
これもとってもじっくりじっくり。

まさに味わうカラダ。

シャバーサナの前にも
背中の下にブランケットを二枚入れて伸ばしてから、
次にブランケットを抜いて横になる。
それだけで、いつもより背中や腰が地面に沈む。

味わうシャバーサナ。
雨の音が体の中に流れる水の音みたいになる。

自分を味わう。カラダと繋がる。
人はここに頭で想像している以上の充足感をおぼえる。
ゆったりヨガのクラスも、すごくいいなー


ふしぎ。前回のゆったりヨガ
前日に姪たちとたっぷり過ごしている。

違うのは、父の亀吉がいなくなってしまったこと。

出てこないかなー
先日わたしが贈った本、読んだばかりだったらしい。

心理学者が亀に恋した理由心理学者が亀に恋した理由
(1999/01)
中村 陽吉

商品詳細を見る


切なすぎる・・・・・・。クリスマス、父に亀をあげようか迷い中。


**************


12月13日にSHIZEN YOGAで開催される

「意識のある暮らし 第一回
 「みんなの気持ちをみたす日」
 ~満月の下でやんばるの森に想いをはせる~」

で、いろいろとお手伝いをして関わらせてもらっています!

まずはナオさんと細かいところまでこだわったポスターが完成。
意識のある暮らし 第一回ポスター 意識のある暮らし 第一回 内容 ←イラスト&デザイン おおかわひさの

SHIZEN YOGAのWorkshopページで詳細がアップされています

イベントではtuck chick bornとしても
絵と朗読で関われることになったのでお楽しみに!!

また近くなったらここでも詳しく紹介します!
ぜひぜひ皆さんいらしてくださーい。

音 自分で自分を暖める

2008.11.18 08:30|ヨガ シリーズクラス1
ハタヨガシリーズクラス 9回目。

マントラを唱え黙想し久しぶりのシェアリング。
12月に控えるラスト3回を残し11月はこれで終了。
2ヶ月が過ぎ、日常の中でヨガがどんなふうにあるのかを考え
今の自分を発表した。

わたしは前回クラスのあと頭痛になったこととか
(まさにあれは毒素を排出しての好転反応だった!)
自分で認めてあげられていなかったのは
外にも内にも向けていただったことを発表。
まだまだ完全に認めきれず槍はとんがったまま
なんとなく頭痛が残っていたり風邪もひき弱っているが

この2ヶ月で確実に
「いちばんそばで自分を見ていてあげる存在」が
自分の中に育っていることを感じる、と言った。

皆それぞれ
自己との対話をするようになったということを言っていた。

また誰かが言っていて「わたしもそうだな」と思ったのが
ヨガの考えとか、自分と対話する感じ、呼吸を意識するとか
そういうことはより生活に浸透して来ていて、
正直練習の時間は減ってしまっているのだけど
でも毎日にヨガがある感じがある。

実際ポーズを取ること(アーサナ)は実践として偉大だし
練習をしていきたいけれど
ヨガ=アーサナではなく
ヨガのなかにアーサナがある。
このシリーズクラスを受けながらますますそうだなと思う。

ナオ先生が言っていた
「心地良い、やりたい感じでやっていってください」

今日のクラスを通じて、わたしをいたわろうと思い
身体を動かし始める。


火の音「ラ(巻き舌)ー」でポーズを取っていく。
前々回くらいにやった体に負荷をかけるいくつかのポーズ。
ゆっくり呼吸で内包する動きで、吐く息のとき音を響かせる。

火の音は、熱を発生するらしく
確かに驚くほどにどんどん身体が温まった。
とるポーズに関連もしているのかもしれないが
最初は下っ腹が、そこから背骨をつたって肩や首の辺り
気づけば額にも汗が出て来て手の指先まで温かくなった。

この時間で自分をいたわろうと思った、その想いが満たされていく。

でも、音を発声しながらのポーズは呼吸が乱れやすく
ポーズも“負荷シリーズ”(笑)だったから
だんだん伸ばす音は続かなくなり可笑しくなってしまった。


音で満ちるクラスはとっても温かくてより平和な感じがした。

ポーズのしめくくりに今度は火の音ではなく、
自分を静めるため「シャンティ」を言いながら

・正座から立ち膝、両手も挙げ=吸う
・腰から倒れお尻を踵の方に下し手は床に伸びお祈りのように=吐く(シャンティ)
・手に体重を移していき四つんばいになり背筋伸ばし=吸う
・もう一度戻りお祈りするように=吐く(シャンティ×2)
・立ち膝、両手を上にに戻り=吸う ・ゆっくりと腰を下ろし、手を膝に=吐く(シャンティ)


これをくり返したあと内省してみると
呼吸の質が、なんだか絹のようになっていた。

最後にシャバーサナ。

温めの熱は、わたしの場合ふくらはぎくらいで遮断され
うまく足先までは伝わってないことに気づき、足だけ羽織をひっかける。

ナオ先生のガイドに

「与えてもらった分、与える。
 わたしたちが息を吸うとき、地球は息を吐いている。
 わたしたちが息を吐くとき、地球は息を吸っている」


というのがあって、なんてすてきなフレーズだろうと思った。
そう思うだけで、呼吸を大切に深くしたくなる。
吐くときは、感謝と共に手渡すように。
吸うときは、歓びを享受するように。

だんだんと意識が離れたとき身体がぴくぴくした。

ナオ先生はそれも
「わたしたちは生かされています。
 内臓が動いたり、筋肉がぴくぴくしたりして
 整えようとしています」  と、言った。

そうだと言うように、わたしの腸が「ギュ」と鳴った。
そうか、こういうときに、生かされていることを感じられるんだ。
こんなにもあたりまえに感じられるんだ。

最後、新しいマントラの書かれた紙が配られた。
2行だけ復唱し練習した。ここに在ること、笑って行うことの学び。
このマントラはshizen yogaでよく終わりに唱えられるものらしい。
あと、3回、か~。


夜、寝付けずにホットココアを飲んだ。
ココアは「此処(ここ)」アだなーと思った。
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